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李 乙雪(リ・ウルソル、리을설、1921年9月14日 - 2015年11月7日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人、政治家。朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員などを務めた。朝鮮人民軍元帥。 == 経歴 == 日本統治時代の朝鮮咸鏡北道城津郡生まれ。1930年代、抗日パルチザンに少年連隊員として参加し、やがて本隊に繰り込まれ金日成と行動を共にした〔和田(1992年)、202-203ページ〕。 朝鮮戦争時には人民軍第4師団参謀長、第15師団第3連隊長〔北の最後の「人民軍元帥」李乙雪が死亡…崔竜海、葬儀委名簿に含まれず「粛清説」 中央日報 2015年11月9日閲覧〕。ソ連軍事アカデミーに留学し、1962年10月に朝鮮人民軍第5軍団長、中将になる。同年より最高人民会議代議員を務めた。 1970年11月の朝鮮労働党第5回党大会において党中央委員に選出される〔和田(1992年)、377ページ〕。1972年2月に朝鮮人民軍第5軍団司令官、上将になる。 1980年10月の第6回党大会において党中央委員および党中央軍事委員会委員に選出〔アジア動向年報 1980年版、86ページ〕。1984年8月に護衛総局総局長に任命。 1985年4月13日、朝鮮人民軍大将に昇格〔重要日誌 『アジア動向年報』1985年版、89ページ〕。 1990年5月に国防委員会委員に選出。 1992年4月20日、朝鮮人民軍次帥の称号を授与〔中川(1992年)、42ページ〕。 1995年10月8日、朝鮮人民軍元帥の称号を授与された〔重要日誌 『アジア動向年報』1995年版、92ページ〕。 1996年2月に護衛司令官に任命。1998年9月5日、最高人民会議第10期第1回会議により国防委員会委員に選出され〔「参考資料 朝鮮民主主義人民共和国 1998年 」『アジア動向年報1999』、83ページ。〕、2003年9月まで務める。高齢のため、2011年12月の金正日の国家葬儀委員会のメンバーに選出されたときに就任していた役職は、党中央委員会委員のみである。 2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に再選された。 2015年11月7日、肺がんのため死去〔北朝鮮の李乙雪元帥が死去 革命第1世代、94歳 産経新聞 2015年11月8日閲覧〕。翌11月8日に朝鮮中央通信にて訃報が公表され、金正恩を委員長とする国家葬儀委員会の名簿も発表された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李乙雪」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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