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李 晋暎(イ・ジニョン、 1980年6月15日 - )は、大韓民国の全羅北道群山市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。左投げ左打ち。 == 来歴 == 群山商業高校時代は速球を武器とする投手だった。にサンバンウル・レイダースに入団し、野手へ完全に転向する。この年、財政的に苦しんでドラフトで新人の指名すら保留していたサンバンウルが唯一指名し、1億ウォンの契約金で入団させたほど期待された新人であった。結局、彼がサンバンウルの最後の新人となった。に同球団が解散すると、新球団SKワイバーンズに受け入れられ、2002年から2004年まで3年連続の3割をマーク、主力選手として活躍している。 にはアテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権大会韓国代表、には第1回WBC韓国代表に選ばれた。 2006年の第1回WBC1次リーグ対日本戦では、日本2点リードの4回裏2アウト満塁の場面で西岡剛のヒット性の当たりをダイビングキャッチして追加点を防ぎ、逆転につなげた。同じく2次リーグの日本戦では2回裏、里崎智也のライト前ヒットでホームに突入してきた岩村明憲を好返球で刺し、先制点を許さなかった。これらの好プレイによって韓国の野球ファンから「国民的右翼手」()というあだ名を得た。 また、2006年WBC後のインタビューでイチローに対して「どんなにいい選手だとしても、彼のように人格に問題のある選手はプロとは言えない。メジャーリーグで活躍してる選手だからと言ってパフォーマンスは安定してなかったし、聞いたほど怖い選手じゃなかった。イチローは李鍾範や李炳圭と同じレベルだった」と痛烈な批判を行ったことで知られている。 2007年のアジアシリーズで中日と対戦したときは「中田賢一や山井大介レベルの先発は韓国にもいる」という発言も残した。 2008年の北京オリンピック野球韓国代表に選ばれたが、ライトのポジションを李容圭(イ・ヨンギュ)に譲り、主に控えの外野手および代打として使われた。しかし、日本との準決勝では1対2でリードされた7回裏二死走者1、2塁の場面で代打で起用され、藤川球児から1、2塁間を抜ける同点打を放った。この一打で、8回の逆転劇へ繋げる役割を果たし、大舞台での勝負強さを再び確認させた。一方レギュラーシーズンでは、故障や他の選手の台頭もあって出場機会が減り、オフにフリーエージェントの権利を獲得すると、LGツインズに移籍した。 2009年の第2回WBC韓国代表としても全9試合にフル出場。台湾戦では李振昌から満塁本塁打を放ち、2次ラウンドの日本戦ではダルビッシュ有から先制のタイムリーを放つなど活躍。なお、この試合終了後にチームは準決勝進出を決め、奉重根とともに、マウンドに太極旗を立てた。大会通じて打率は.250と低迷したが、打点は金泰均に次ぐ7打点を挙げ今大会でも勝負強さは健在だった。なお同年は新天地のLGで主力外野手として活躍し、3年ぶりに100試合以上に出場すると規定打席にも達し、2ケタ本塁打も記録した。 2010年以降もLGで主力外野手として活躍を続けた。2015年11月27日、戦力均衡を目的とした2次ドラフト(各チーム40名の保護選手以外から3名まで他チームの選手を指名可能)により、KTウィズより指名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李晋暎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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