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李王家(りおうけ、、イワンガ)は李氏朝鮮の歴代国王を出した家系で、韓国併合後は日本の王公族となり、皇族に準じる待遇を受けたが、第二次世界大戦後の日本国憲法施行に伴いその身分を失った(身位喪失)。 == 概要 == 1910年(明治43年)の韓国併合ニ関スル条約は、その第3条で「日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持するに十分なる歳費を供給すへきことを約す」(片仮名を平仮名に改める)として、韓国皇帝以下韓国皇族に対し、相応の待遇や称号付与をすることを定めていた。 また第4条ではそれ以外の韓国皇族についての類似の規定をしていた。この条約に基づき、王公族として李王家が立てられ、日本の皇族に準じる待遇を受けた〔『「李王家」,「李鍵公家」,「李鍝公家」には、それぞれ麹町区紀尾井町1番地、及び渋谷区常磐松町101番地上に「東京御殿」が存在していた』ことが昭和14年版の時事年鑑に記載されている。(社団法人・同盟通信社『時事年鑑・昭和14年版』1938年(昭和13年),58頁より) 〕。「王」「王世子」「公」等の身位と、殿下の敬称が与えられた。 1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に伴い、その身分を失った(身位喪失)。 また「日鮮融合」のため、李王垠は日本の皇族・方子女王と、他に李鍵公や李徳恵も日本人(華族)と、それぞれ国際結婚が行われた。しかし戦後、李垠・方子夫妻以外はそれぞれの理由で離婚している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李王家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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