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南延君(1788年(乾隆53年) - 1836年5月5日(道光16年3月20日)は李氏朝鮮の王族。本貫は全州李氏。初諱は「寀重」。諱は「球」。字は「時伯」。諡は「忠正」。李秉源第二子。 曽祖父安興君の世代で王族の待遇は終わり、実家の生活水準は貧窮した。南延君は30年近く貧困の生活を過ごしたが、恩信君の家督の相続する事になり、王族として復権して、守園官などの官職を保持した。当時は勢道政治により王族が凋落した時期の中、当時の王族を代表したのが南延君であり、純祖から保護を受けた。第四子に興宣大院君がおり、興宣大院君の血統は王統となっている。 死後に忠清南道礼山郡の墓の副葬品をドイツ連邦商人エルンスト・ヤーコプ・オッペルトに毀損された事は有名である。 ==生涯== ===誕生=== 1788年李秉源第二子として誕生した。血筋は仁祖の第三子の六代祖麟坪大君の直系に当たり、五代祖福寧君は粛宗期の熾烈な党争に巻き込まれず、王族の地位を維持していたが、王族の待遇は曽祖父安興君の世代で終わり、祖父李鎮翼は官職に就けたが、実父の李秉源は生員止まりであった。そのため生活水準は貧窮したが、それでも李秉源に学問を教わった。後世に興宣大院君が先祖を追贈している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李球」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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