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李琰之 : ミニ英和和英辞書
李琰之[り, すもも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

李琰之 ( リダイレクト:李エン之 ) : ウィキペディア日本語版
李エン之[り えんし]

李琰之(り えんし、? - 533年)は、北魏の官僚・武人。は景珍。小字は黙蠡。本貫隴西郡狄道県李韶の族弟にあたる。
== 経歴 ==
幼い頃から有名で、神童と呼ばれた。叔父の李沖に一族の俊英として嘱望され、いつも小遣いを与えられて自分の子のように愛された。弱冠にして秀才に挙げられたが、官につかなかった。河内の北山に遊んで、隠遁しようと考えていた。しかし彭城王元勰に召されて行台参軍とされ、嫌々ながら招聘に応じた。侍中李彪の推薦により著作郎を兼ね、国史の修撰をつとめた。しばらくして国子博士に転じ、尚書儀曹郎中を兼ねた。中書侍郎・司農少卿・黄門郎となった。国子祭酒となり、秘書監に転じ、七兵尚書を兼ねた。太常卿となった。528年元天穆の下で葛栄を討ち、御史中尉を兼ね、北道軍司となった。帰還すると、征東将軍に任ぜられ、太常を兼ねた。
衛将軍荊州刺史として出向した。しばらくして尚書左僕射・三荊二郢大行台を兼ねた。まもなく散騎常侍の位を加えられた。530年爾朱兆が洛陽に入ると、南陽太守の趙脩延が琰之はに亡命するつもりだと難癖をつけ、荊州の州城を襲撃して琰之を捕らえ、荊州の行政権を掌握した。荊州城内の人が趙脩延を斬ると、琰之は荊州刺史の任にもどった。532年孝武帝が即位すると、琰之は洛陽に召還されて侍中・車騎大将軍・左光禄大夫・儀同三司を兼ねた。533年、死去した。侍中・驃騎大将軍・司徒公雍州刺史の位を追贈された。は文簡といった。
子に李綱・李恵があり、ともに孝武帝に従って関中に入った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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