翻訳と辞書
Words near each other
・ 李聖
・ 李聖五
・ 李聖宰
・ 李聖徳
・ 李肅
・ 李肇星
・ 李膺
・ 李膺 (後漢)
・ 李自成
・ 李致業
李興鋭
・ 李舜源
・ 李舜臣
・ 李舜臣 (宋)
・ 李舜臣 (明)
・ 李舜臣大橋
・ 李舜臣級駆逐艦
・ 李良枝
・ 李良栄
・ 李芝妍


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

李興鋭 : ミニ英和和英辞書
李興鋭[り こうえい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

李興鋭 : ウィキペディア日本語版
李興鋭[り こうえい]
李 興鋭(り こうえい、''Li Xingrui''、1827年 - 1904年)、字は勉林末の官僚。
湖南省瀏陽出身。太平天国の乱が発生すると団練を組織し、曽国藩の幕下に入って安徽省祁門に駐屯した。祁門の防衛に功績をあげ、知県・知府に昇進した。1865年には祁門での反乱を未然に防いでいる。
1868年、曽国藩が直隷総督に就任すると、それに従って直隷省大名府知府となり、さらに道員に昇進した。1870年、曽国藩が両江総督に戻ると、その下で軍務を担当し、彭玉麟長江水軍を創設するのを補佐した。曽国藩が死去した後は、李宗羲が両江総督に就任するが、李宗羲の信任も得、1874年に日本が台湾出兵を行った際は、沿岸部の視察を行い、砲台の修築を行った。1875年上海機器製造局の総弁となり船舶や大砲の製造を行うなど洋務運動を推進した。
1889年、天津道となり、その後山東東海関道に異動となった。その後、長蘆塩運使、福建按察使、布政使を歴任し、1900年、江西巡撫に昇進した。当時江西省では教案が発生し、数十ヵ所の教会が破壊された。就任すると直ちに役人十数人を免職し、80万両の賠償金を支払うことで解決した。この頃、学校の整備や銀行の設立など十項目の新政を提言している。
その後広東巡撫となるが、在任中には洪全福による天地会の反乱を鎮圧している。1903年閩浙総督となり、軍備の拡張や冗費の節減などの改革を行った。1904年、両江総督となったが在任中に死去した。勤恪の諡号が贈られた。
==出典==

* 『清史稿』巻447・列伝234





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李興鋭」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.