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李英求 : ミニ英和和英辞書
李英求[り, すもも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李英求 ( リダイレクト:木山英求 ) : ウィキペディア日本語版
木山英求[きやま えいきゅう]

木山 英求(きやま えいきゅう、1954年12月24日 - )は、広島県安芸郡天応出身〔鄭仁和 『いつの日か海峡を越えて ―韓国プロ野球に賭けた男たち』 文藝春秋、1985年、228頁。〕の元プロ野球選手外野手)。
在日韓国人であり(プロ野球引退後は不詳)、韓国名は李 英求(イ・ヨング、)。'')。
== 来歴・人物 ==
広島県呉市にある呉港高等学校出身。広島の高校球界では知られた存在であった。1972年広島東洋カープの入団テストに合格し、ドラフト9位指名で入団。外野手であったが、守備は内野ならどこでもこなせる器用さがあった。その反面、パンチ不足と鈍足という欠点があり決め手に欠いた。
入団後、ファームでは実績を積んで存在感はあったが、当時の広島は常勝軍団になっており、一軍への道のりは険しかった。同期入団の木本茂美やその後活躍した長内孝なども当時はなかなか一軍入りが難しかった。そのため、10年間で一軍には10試合出場3打数無安打の記録しか残せなかった。10年目の1982年にはウエスタン・リーグで打率.339で2位になった〔森岡浩編著「プロ野球人名辞典」より〕。
1983年、チームメートであった福士敬章と共に、広島を退団し韓国プロ野球三美スーパースターズに移籍。登録名「李 英求(イ・ヨング、)」として3年間活躍した。
関川夏央著の「海峡を越えたホームラン」(双葉文庫)によれば、韓国のスポーツ新聞には「日本二軍で打撃2位の李英求や金戌宗(木本茂美)が、当地では打撃20傑にも入らぬところを見れば、我々の野球は日本の一軍と二軍の間の水準にあると判断できる」との記事があったという。'')」として3年間活躍した。
関川夏央著の「海峡を越えたホームラン」(双葉文庫)によれば、韓国のスポーツ新聞には「日本二軍で打撃2位の李英求や金戌宗(木本茂美)が、当地では打撃20傑にも入らぬところを見れば、我々の野球は日本の一軍と二軍の間の水準にあると判断できる」との記事があったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木山英求」の詳細全文を読む




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