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李虔[り けん]
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・ 李 : [り, すもも] 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina
李虔[り けん] 李虔(り けん、457年 - 530年)は、北魏の官僚・軍人。字は叔恭。本貫は隴西郡狄道県。 == 経歴 == 李承の子として生まれた。太和初年、中書学生となった。後に秘書中散に転じ、冀州驃騎府長史・太子中舎人に任じられた。宣武帝の初年、太尉従事中郎に転じた。後に清河郡太守として出向した。508年(永平元年)、京兆王元愉が冀州で反乱を起こすと、李虔は清河郡を放棄して洛陽に逃げ込んだ。宣武帝は李虔の任地放棄をとがめず、李虔を別将に任じて軍の慰労につとめさせた。元愉の乱が平定されると、李虔は長楽郡太守に転じた。515年(延昌4年)、冀州で大乗の乱が起こると、李虔は本官のまま別将となり、都督の元遥とともに反乱を鎮圧した。後将軍・燕州刺史に転じた。洛陽に召還されて光禄大夫となり、平西将軍の号を加えられ、大司農卿を兼ねた。散騎常侍・安東将軍・兗州刺史として出向した。かつての冀州平定の功績を論じられて、高平男の爵位を受けた。洛陽に召還されて、河南邑中正に任じられ、鎮軍将軍・金紫光禄大夫の位を受けた。528年(建義元年)、特進・車騎大将軍・儀同三司の位を受け、散騎常侍の任を加えられた。さらに驃騎大将軍・開府儀同三司に進んだ。530年(永安3年)冬、死去した。享年は74。侍中・都督冀定瀛三州諸軍事・驃騎大将軍・太尉公・冀州刺史の位を追贈された。諡は宣景といった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李虔」の詳細全文を読む
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