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李 銘(り めい)は中華民国の銀行家・実業家。浙江財閥における有力な銀行家の1人である。字は馥蓀。 == 事跡 == === 上海金融界での台頭 === 初めは旧学を学んだが、1902年(光緒28年)に杭州の教会学校へ入学する。卒業後の1905年(光緒31年)に日本へ留学し、山口高等商業学校で銀行学を学んだ。1910年に卒業、帰国している。 中華民国成立後に、李銘は浙江銀行稽核(検査員)として銀行界入りする。1915年(民国4年)7月に浙江銀行が浙江地方実業銀行に改組されると、李は同行上海分行副経理に任ぜられ、まもなく経理に昇進した。1916年(民国5年)5月、袁世凱が皇帝即位を取り消した後、上海中国銀行と交通銀行で取り付け騒ぎが起き、袁は兌換禁止令を発する。これに対して上海金融界は反発し、禁止令撤回を求める運動を起こし、李もこれに参加した。 1923年(民国12年)3月、浙江地方実業銀行は、官営の浙江地方銀行と民営の浙江実業銀行に分割されることになる。李銘は後者の総経理に任ぜられ、上海に総行(本店)を設置した。李は浙江実業銀行の経営方針として、外為業務と実業投資を二本柱とし、順調にな経営を展開している。上海金融界で名声が高まった李は、1926年(民国15年)より上海銀行業同業公会委員に選出され、後に主席を務めることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李銘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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