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李 鴻祥(り こうしょう)は清末、中華民国、中華人民共和国の軍人・政治家。滇軍(雲南軍、雲南派)の一員。字は儀廷、儀庭。 == 事跡 == 清末に日本へ留学し、陸軍士官学校歩兵科を卒業した。また、留学中に中国同盟会に加入している。1909年(宣統元年)に帰国し、新軍第73標管帯兼雲南陸軍講武堂教官に就任した。1911年(宣統3年)10月、蔡鍔・唐継尭らが画策した重九起義に参加した。その後、四川省の革命派支援のために、滇軍第2梯団団長に任命され、四川へ遠征した。 雲南へ戻ると滇軍第1師師長に任命された。まもなく雲南省政務庁長に異動し、これ以後は軍事職から離れる。1913年(民国2年)10月、羅佩金の後任として雲南省民政長に任命された。翌年、北京に異動し、参政院参政となる。これ以後は、中央での目立った政治活動も見られなくなる。 1931年(民国20年)、雲南に戻り、以後は地方で文献収集の活動に従事した。1939年(民国28年)、雲南省参議会議長に選出された。中華人民共和国建国後も雲南省に留まり、雲南省軍政委員会委員、雲南省人民委員会委員などを歴任した。 1963年、死去。享年85。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李鴻祥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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