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李 鼎新(り ていしん)は清末民初の海軍軍人。(現在の福州市)の人。北京政府では直隷派に属した。字は承梅。 == 事績 == === 清末の活動 === 1881年(光緒7年)、馬尾船政局後学堂第4期駕駛(操舵)班を卒業した。同年、イギリスに留学し、グリーンウィッチ海軍学校で引き続き操舵を学ぶ。また、北海や西インド諸島で実習を重ねている。5年後に帰国して北洋海軍右翼中営遊撃に任命された。1889年(光緒15年)、艦艇「定遠」の署理副管駕に昇進する。3年後、正式に副管駕となった。 日清戦争勃発後、黄海海戦に参戦した際、海軍提督丁汝昌が戦闘中負傷してしまう。そのため、「定遠」管駕劉歩蟾と副管駕李鼎新が、代わりに督戦した。翌年、北洋艦隊が覆滅、清軍が大敗すると、李鼎新は海軍改革の必要性を朝廷に建議した。その後、他の海軍軍官たちとともに一時罷免されてしまう。 1901年(光緒27年)11月、袁世凱が直隷総督兼北洋大臣に就任すると、李鼎新は再任用された。以後、艦艇「海圻」管帯、山海関艦隊副司令を歴任している。1911年(宣統3年)春、海軍部が成立すると、李は海軍正参領の地位を授与され、署理軍法司司長に任じられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李鼎新」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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