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東六番丁通り(ひがしろくばんちょうどおり)は、宮城県仙台市青葉区を南北に走る道路のひとつであり、仙台東照宮門前から南に延びる宮町通りに連続的・直線的に続いている。名称は、江戸時代からの道路名・町名である「東六番丁」に由来する。 == 東六番丁(道路) == 仙台城下町開府時には東五番丁までしか街割りはされず、東六番丁辺りは谷地小路と呼ばれていたようである(後世の地図では、東七番丁を元谷地小路と記しているものもある〔有限会社イーピー 風の時編集部「仙台地図さんぽ」に収録された1912年(大正元年)発行の地図による〕)。 1627年(寛永4年)から始まる城下町の拡張に伴い、東六番丁以降が街割りされ新設された。東六番丁の南端では、同時期に新設された清水小路と変則六叉路の六道の辻において直線的に接続した。 仙台藩第二代藩主伊達忠宗が1654年(承応3年)に仙台東照宮を創建すると、その門前から南に御宮町(上御宮町・下御宮町とに分かれる。現宮町通り)が新設された。これにより東六番丁は、城下町の東部において、仙台東照宮の門前から御宮町・東六番丁・(六道の辻)・清水小路と繋がる南北直線道路の一部を構成することになった。なお、御宮町の南端は東六番丁の北端と直線的に接続し、小田原長丁通(清水沼に繋がる)が東行きに分岐する丁字路()を形成することになったが、そのすぐ南側には長丁(定禅寺通へと繋がる)が西行きに分岐する丁字路が造られた。仙台城下町で「○○通」は「○○に通じる道」という意味であったため、小田原長丁通が長丁に通じる道と認識されていたと見なせ、ここが2つの丁字路の連続というより変則四叉路と認識されていたと考えられる。 1882年(明治15年)2月25日、県内初の軌道である宮城木道(木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し、蒲生と仙台との間で貨物輸送を始めた。江戸時代には、塩竈湊から御舟入堀(貞山運河)を経て七北田川河口の蒲生に集荷された貨物が、七北田川と舟曳堀を小舟で遡上して苦竹で陸揚げされて原町に集荷される水運物流ルートがあったが、宮城木道がその強力な競争相手となった(以下のように日本鉄道が塩竈~仙台間に開業したことで廃止に至る)。 1887年(明治20年)12月15日に仙台区(現仙台市)には日本鉄道(現JR東北本線)が開通するが、仙台駅およびその前後の軌道敷が東六番丁の西側に沿って設置されたため東六番丁は道として残った。ただし、花京院通(現国道45号)と元寺小路との間で軌道敷と東六番丁が交差するため、ここに跨線橋が設置された。他方、六道の辻では、軌道敷が清水小路北端を通過する形で建設されたため、清水小路はその北端の手前で北西に道筋を変更して東五番丁と接続され〔戦後の戦災復興事業において、仙台上町段丘面にある上杉山通と、段丘崖下の仙台中町段丘面にある日吉丁以南が接続された(新設された段丘崖部分の道は現在、銀杏坂と通称されている)。これにより、上杉山通・(錦町)・(銀杏坂)・日吉丁・東五番丁・(六道の辻)・清水小路と、錦町および六道の辻で屈曲して繋がる南北大通り(現在の愛宕上杉通り)が造られた。〕、東六番丁は北目町通で丁字路で終わる形になった。また、北目町通の上にはガード(現北目町ガード)が設置された。 1925年(大正14年)には宮城電気鉄道(後の仙石線)が開業したが、地下駅として設置された同鉄道の仙台駅に至るトンネルの入り口は、同駅東側の東六番丁付近に設置された。1952年(昭和27年)にはこの地下駅は廃止され、代わって仙石線用の地上ホームが東六番丁付近に完成した。いずれかの時期に東六番丁の南半分は仙台駅プラットホームや軌道敷の拡張で、同駅の構内に組み込まれて消滅(時期不明)し、仙台駅北側の跨線橋も廃止された(時期不明)。 現在、元跨線橋の西詰には花京院マンションが建ち、東北本線などの軌道敷の西側で東六番丁は盲端で終わっている〔花京院通との交差点である宮町一丁目交差点から花京院マンションまでの区間について、仙台市市道路線認定網図 には市道の名称が記載されていない〕。同軌道敷の東側では、東北新幹線に沿って通る仙台市道宮城野1306号・花京院通中央一丁目線の一部として道筋が現存しており、同市道のうち元寺小路の少し北側から、途中、宮城野橋(X橋)が上空を通過する区間を過ぎて、BiVi仙台駅東口の北までの直線区間が東六番丁にあたる。BiVi仙台駅東口以南は仙台駅構内となっており、道筋は現存しない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東六番丁通り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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