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東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・演出家。福島県喜多方市出身。 1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタートし、68年、同プロ作品『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。 ==来歴・人物== 日本大学藝術学部映画学科卒業後、テアトルプロに入社。助監督として始動した。その後テアトルプロのプロデューサーからの紹介で円谷プロダクションへ移籍し、『ウルトラQ』第6話「育てよ! カメ」から特撮へ携わった。本編版と特撮班の両方を経験した後、満田かずほの計らいにより『戦え! マイティジャック』(1968年、円谷プロ・フジテレビ)第7話「来るなら来てみろ!」でテレビ映画初監督を務めた。映画監督デビューは『ジャンボーグA&ジャイアント』(1974年、円谷プロ)。 ウルトラシリーズの監督デビュー作は、上原正三脚本の『帰ってきたウルトラマン』の第33話「怪獣使いと少年」。あまりにも表現や描写が露骨かつリアルで、TBSから「この作品は受け取れない」と断られ、リテイクした伝説の作品である。 この一件でウルトラシリーズから干された東條は、『ミラーマン』や『ジャンボーグA』で監督業を続けることになり、『ジャンボーグA』終了直後の1974年初頭からは特撮監督という形で『ウルトラマンタロウ』に参加。次作の『ウルトラマンレオ』第5話からは、本編監督も兼ねてウルトラシリーズへの完全復帰を果たすが、続く第6話「男だ!燃えろ!」では、「怪獣使いと少年」でも顕著だった生真面目すぎるほどの鬼演出が仇となって、当分は特撮監督のみを任されることになる。74年末の第38話「決闘!レオ兄弟対ウルトラ兄弟」からは再び本来の監督業へと復帰し、レオの終了後も『プロレスの星 アステカイザー』、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』及び『恐竜戦隊コセイドン』などの円谷作品を中心に活躍。 『ウルトラマン80』の終了によって監督業の職を失いかけた1981年に、『太陽戦隊サンバルカン』から東映作品へと参加。東映特撮最強の鬼監督と呼ばれ、一切の妥協を許さない徹底した演技指導は極めて厳しく、新人スタッフや新人役者には「鬼軍曹」と恐れられた。中川素州いわく、「熱血スパルタ演出で有名」。反面、その特異なキャラクターを慕われることも多かった。テンポが速くスピーディーな演出が特徴。現アクション監督で当時スーツアクターだった村上潤によると、東條と小西通雄はアクションシーンの編集が実に上手かったそうである。 東映のスーパー戦隊シリーズの演出本数215本(映画、Vシネマ含めて)は渡辺勝也に次ぐ第2位である〔。そのうちの『大戦隊ゴーグルファイブ』、『科学戦隊ダイナマン』、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』、『超力戦隊オーレンジャー』の4作品でパイロット&メイン監督を務めた。第5作『サンバルカン』から第19作『オーレンジャー』まで第8作『超電子バイオマン』と第9作『電撃戦隊チェンジマン』を除いて監督をした。 しかし1997年頃の東映特撮演出陣の一新により『ビーファイターカブト』の48話「BF基地(ビートルベース)大爆破?!」を最後に活躍の場をなくし、監督業を引退した。 現在は時折特撮関係のムックでインタビューに答えている様子も見られる。また、近年は鈴木美潮プロデュースのイベントに度々参加するようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東條昭平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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