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松山鮓(まつやまずし)は、愛媛県の松山地方に伝わる郷土料理である。祝い事や訪問客をもてなす際にだされ、瀬戸の小魚の旨みを活かした甘めの鮓飯が特徴となっており、地魚がちりばめられているばら寿司である。 == 郷土料理 松山鮓にまつわる物語 == 1892年(明治25年)8月、大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れ、正岡子規の家に立ち寄ったとき、母、八重がもてなしたのが松山鮓であり、漱石は大いに喜んだようだ〔大河内昭爾編和田茂樹、『食いしんぼう"子規"』、エーシーシー、1989年〕。 和服姿にあぐらをかいて、ぞんざいな様子で箸を取る子規の前で、極めてつつましやかに紳士的な態度であった漱石は、洋服の膝を正しく折って正座し、松山鮓を一粒もこぼさぬように行儀正しく食べていたそうで、その時の様子は、同席していた高浜虚子が、書物の中で回想しており〔高浜虚子、『子規と漱石と私』、野間省一、1973年、96頁〕、後々に語り継がれている。 また、グルメであった子規にとって、母がこしらえた松山鮓が故郷の味であり、愛する松山の大切な思い出でもあったようで、このことは、子規が松山鮓に関する俳句を数多く残していることからもうかがい知ることができる〔大河内昭爾編松尾靖秋、『松山の俳句と食べ物』、エーシーシー、1989年〕。 われに法あり 君をもてなす もぶり鮓 ふるさとや 親すこやかに 鮓の味 われ愛す わが豫州 松山の鮓 なお、後日談として1895年(明治28年)の春、松山中学校の教師として漱石が再び松山を訪れた際(このときの経験が後年、小説『坊っちゃん』のモデルとなっている)、先ず所望したのが松山鮓だったそうで、漱石にとってもお気に入りの松山料理であったことが想像できる。 ちなみに、虚子と並び称される河東碧梧桐も松山鮓を食べていたことが自書の中で記されている〔河東碧梧桐、『三千里』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松山鮓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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