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松平 頼侯(まつだいら よりとし、寛文元年7月15日(1661年8月9日) - 貞享4年6月23日(1687年7月31日))は、讃岐高松藩の藩主一門。幼名は萬吉。通称図書。別名頼章。初代藩主松平頼重の四男。 母は側室松野。正室は権中納言樋口信康の娘長(七姫)。長男は3代藩主松平頼豊。兄に徳川綱方・徳川綱條・松平頼剛。弟に松平頼芳。徳川斉昭、徳川慶喜の男系の先祖にあたる。 == 生涯 == 高松藩主である松平頼重の第4子として生まれる。 延宝4年(1676年)、当時の藩主頼常(水戸藩主徳川光圀の子で頼侯の従兄にあたる)より、前藩主の庶子ということで5000石を与えられ、上級に属する藩士となった(実弟の松平頼芳も3000石を与えられ高松藩士となった)。 書に巧みであったとされる。貞享4年(1687年)6月23日、高松で死去した。享年27。一陪臣であったため、徳川姓を称することも、官位を授けられることもなかった。 長男の頼豊は頼侯の死後、頼常の養子となって高松松平家の家督を相続した。また、頼豊の長男は水戸徳川家を継いで水戸藩主徳川宗堯となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平頼侯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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