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松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。 妻はKBC元アナウンサーの柴田恵理。 == 経歴 == === プロ入り前 === 1983年5月17日に滋賀県草津市で生まれた〔【ドラフト連載】松田にリーダーシップの資質 2005年12月5日 日刊スポーツ九州〕。草津市立老上小学校2年生の時に矢橋レモンズで軟式野球を始めた〔。中学校では栗東ボーイズで硬式野球に転向した〔。 中京高等学校では主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した〔。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に双子の兄とともに出場(当時の校名は中京商、3年時に校名変更)も、対那覇高校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退した。 亜細亜大学入学後は1年春()から4番を任され東都大学リーグ戦に出場し、同シーズンで3本塁打と力を見せた〔。同年は第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出されて5番を務め、3位に貢献した〔〔希望枠・松田は「五輪に出たい」 2005年11月19日〕。も2年連続で第35回日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出された。井口忠仁(青学大)が持つリーグ通算24本塁打の記録更新も期待されていた。しかし、3年時に部員の不祥事が発覚し、亜細亜大学は半年間の対外試合禁止の処分を受けた。その結果リーグ戦、入替戦は不戦敗扱いとなりリーグ2部へ降格となったため、松田が在籍中の1部復帰は不可能となり記録更新はならなかった〔「ガンガン押していく」鷹の希望枠・松田が“井口超え”宣言 2005年11月19日SANSPO.COM〕。3年生時までの松田の通算本塁打は15本、シーズン最多は2年秋の6本である。その後、亜細亜大学は主将に就任した松田を中心に秋のリーグ2部で優勝し、1部へ復帰した。1部リーグでは通算76試合出場、275打数62安打、打率.225、15本塁打、41打点でベストナインを1回獲得した。2部リーグでは通算10試合出場、37打数9安打、打率.243、4本塁打、10打点を残した。 11月18日に行われた大学生・社会人ドラフト会議にて希望入団枠制度により選択され、12月2日に仮契約を行い福岡ソフトバンクホークスに入団した〔希望枠・松田が仮契約 2005年12月2日 日刊スポーツ九州〕。12月5日に入団会見を行い、背番号は5に決まった〔希望枠・松田「どこでもやります」鷹が新入団選手発表 2005年12月6日SANSPO.COM〕。 ソフトバンクはチームの若返りを図る方針へ転換し、同年27本塁打を記録した正三塁手のトニー・バティスタとの契約を1年残して打ち切り〔ソフトバンクがバティスタを解雇 2005年12月2日 日刊スポーツ九州〕、松田を江川智晃らと競わせるとし、二塁手へのコンバート案も挙げていた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松田宣浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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