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板橋 明治(いたばし めいじ〔丸木位里、俊夫妻が描いた水墨画連作 足尾鉱毒の図6部 一挙公開 - 東京新聞2013年12月18日〕、1921年6月25日 - 2014年12月24日)は、日本の農民運動家。群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に、農業を営む板橋家の長男として生まれる。郷里では足尾銅山の鉱毒による被害(足尾鉱毒事件)が続いた。 これに対して、「渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会」会長〔鉱毒根絶 切なる願い 協定締結で続く採水監視 - 下野新聞2013年7月28日(連載企画「今、生きる正造 - 没後100年 - 第2部<4>」〕(1962年より)として、河川汚染に関する日本初の水質基準値設定(経済企画庁告示第1号)(1968)、田中正造の時代以来の足尾鉱毒事件における加害者決定(1974)を達成、日本公害の原点を確立。渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会会長として鉱毒根絶を目指し活動した。 == 概略 == 1921年、群馬県山田郡毛里田村大字只上(現・太田市只上町)に、農業を営む板橋家の長男として生まれた。毛里田村の北側に、銅山と製錬所を擁する足尾山地を源流域とする渡良瀬川が、西から東へと流れている。その川は乳白色ににごり、毛里田の子供は川の水は、その色がもともとの川の水の色だと思って遊んだ。 群馬県立太田中学校(現:群馬県立太田高等学校)を卒業、家督を継ぐため群馬師範(現:群馬大学教育学部)に学び、卒業後教職に就く。太平洋戦争に際して軍隊に召集され、選ばれて幹部候補生として将校に任官陸軍中尉となる。戦後復員し農業に従事する。郷土における鉱毒根絶を期して1952年毛里田村村会議員、後に議長となる。鉱毒根絶毛里田期成同盟会の立ち上げに積極的に関わり、1962年同会会長となる。 1967年太田市議会議員となり、渡良瀬川の水質基準決定に奔走する。毛里田地区産の米にカドミウムが検出され、1972年、提訴者971人の 筆頭代理人となり、鉱山の事業者である古河鉱業㈱ (現:古河機械金属㈱)を相手どり、総理府公害等調整委員会に、損害賠償39億円を求める調停の申立をおこなう。〔。2年後の1974年に、古河鉱業㈱に責任を認めさせ、15億5千万円の損害賠償を含む調停が成立し、これを農家の救済に当てた〔。この申立に際して弁護士等に依頼せず、独学で活動を進めた。またこの案件は、農作物補償金の非課税措置の先例となる。 県営土地改良事業を推進し、改良区を設立。理事長として尽力し、汚染農地360ヘクタールを近代的水田として整備する。また、一連の鉱毒反対運動を描いた記録映画『鉱毒』(1976年)製作者に名を連ねている〔鉱毒 - 映画.com〕。 鉱毒根絶のための農民運動を史実として残すため、1995年より「鉱毒史」の編纂を開始し(編纂委員会委員長)、2006年上巻、2013年に下巻を刊行した。 出典:板橋明治翁像(太田市只上町)碑文 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板橋明治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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