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板野 一郎(いたの いちろう、1959年3月11日 - )は、神奈川県横浜市出身の演出家、アニメーター。グラフィニカ所属〔「アスラズラース特集 板野一郎特別演技監督インタビュー」『週刊ファミ通 2012年3月29日号(No.1215)』 エンターブレイン、2012年、186頁。〕。 == 略歴 == 高校3年のとき、スタジオムサシでのテレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』の動画からアニメーターとしてのキャリアをスタート。幼少期に読んでいた漫画『鉄人28号』『サブマリン707』の影響でメカ好きになり、メカのカットばかりこなしているうちに、いつの間にかメカ専門になったという。同僚の森山ゆうじとのフリー活動、スタジオコクピットを経て、ムサシの先輩だった浜津守の誘いでテレビアニメ『機動戦士ガンダム』に参加。同作で1979年に原画へ昇格を果たす。 次いでスタジオビーボォーに籍を置き、『伝説巨神イデオン』に参加。この両作品で、安彦良和や湖川友謙(ビーボォー主宰)らベテランから作画技法を学ぶ。独自のアクション演出を磨き、イデオンの「全方位ミサイル発射シーン」や多数のアディゴが乱舞する戦闘シーンなどで注目を集めた。 1982年、スタジオぬえの河森正治に誘われ、同僚の平野俊弘らとアートランドへ移籍し、『超時空要塞マクロス』に参加する。主役メカのバルキリーの斬新なデザインに惚れ込み、メカニック作画監督として個性を発揮。スピーディーでアクロバティックな戦闘シーンは板野サーカス(後述)と称され、メカ好きのアニメファンから注目された。 1985年のOVA『メガゾーン23』は演出を手掛けるきっかけとなった(声優としても1台詞だけ出演)。1986年の続編『メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い』で監督デビュー(メカ作監兼)。以後、次第にアニメーターとして作画を行なうことは少なくなり、アニメ演出家としての仕事に比重を移した。同年12月にはアートランドから独立し、結城信輝、本谷利明、門上洋子、森川定美を擁してD.A.S.T (Defence Animation Special Team) を結成。OVAを中心に『エンゼルコップ』シリーズなどのアクション作品を監督した。 1994年の『マクロスプラス』で久々に作画を手掛けた後はCGの可能性に目を向け、ゲームや実写特撮作品のCGモーション監修にも活動を広げた。2004年の『ULTRAMAN』や『ウルトラマンネクサス』以降の『ウルトラシリーズ』などに参加している。 2008年には企画から監督まで全面的に手がけた『ブラスレイター』を発表。その後は同作のCG班がGONZOから独立したグラフィニカにアドバイザーとして籍を置き、後進の指導を行っている〔プロダクション探訪 第2回:グラフィニカ / GRAPHINICA - CGWORLD.jp(2011年6月30日)2012年12月10日閲覧。〕。 最初の師匠である安彦良和とは、『クラッシャージョウ』の現場を辞めてマクロスに参加して以来関係が途絶えていたが、安彦のガンダム画集にまつわる仕事〔雑誌『ガンダムエース』2011年4・5月号(前後編)にて対談。〕でほぼ30年ぶりに再会し、アニメ版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I』(2015年)の制作に協力している〔"クリエイターズ・セレクション vol.18 安彦良和インタビュー ". バンダイチャンネル.(2015年2月15日)2015年12月5日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板野一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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