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林雄二郎 : ミニ英和和英辞書
林雄二郎[はやし ゆうじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 
: [に]
  1. (num) two 

林雄二郎 : ウィキペディア日本語版
林雄二郎[はやし ゆうじろう]
林 雄二郎(はやし ゆうじろう、1916年大正5年)7月27日 - 2011年平成23年)11月29日)は、日本の官僚未来学者、財団運営者。
== 来歴・人物 ==
東京生まれ。1940年に東京工業大学電気化学科卒。1942年に技術院に入職後、戦後は経済安定本部、経済企画庁で長期計画に関わる。同庁在籍時の1959-1960年にフランス留学。
帰国後の1965年に、同じ経済企画庁・当時総合開発局の下河辺淳(元:東京海上研究所理事長)、同じく当時総合計画局の宮崎勇(現:大和総研特別顧問)らとともに「1985年の日本人のライフスタイルを検討する会議」を通じ、各界に大きな影響を与え、「林リポート」となるものをまとめる。日本社会を発展させるためのガイドラインとなった。1967年、東京工業大学に社会工学科が新設される際に教授に就任。
1969年、在籍していた経済企画庁時代、情報化社会を予見した『情報化社会』〔情報化社会 (講談社現代新書) AMAZON〕を発刊。本書の発行により、情報化社会という言葉が社会的に認知されることになった。また、同著は著者が大阪万博の仕事の帰りの新幹線の中でテープレコーダーに吹き込んだものを起こしたものを基本として作成したものである。当時、林雄二郎は京都の梅棹忠夫小松左京加藤秀俊川添登らと「貝食う会」というグループを結成し、未来学について議論を重ねていた。
1971年、財団法人未来工学研究所所長を経て、1974年10月15日にトヨタ自動車が自動車事業創業40周年を記念したトヨタ財団を設立するのと同時に、専務理事に就任し13年間務める。就任時、同財団理事長の豊田英二より、「自分はよくわからないから任せるよ」と言われ、財団業務を全て任される。人事も自由に任され、リベラルで専門意識の強い山岡義典らをプログラムオフィサーとして連れてくる。日本の財団業務の礎を築く。
1988年より東京情報大学初代総長を1994年まで務め、1994年に日本財団の顧問に就任。現在でも同財団の活動理念・指針となる「フィランソロピー実践のための七つの鍵」を作成。他には日本フィランソロピー協会前会長、日本未来学会会長なども務めていた。
実兄は元東京大学総長の林健太郎。長男は元博報堂生活総合研究所所長の林光。次男は作家の林望
2011年11月29日、老衰により死去〔東京情報大学初代学長、林雄二郎氏が死去 産経新聞 2011年11月30日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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