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柏木 源藤(かしわぎ げんとう / もとひさ〔『野望! 武将たちの関ヶ原』(新人物往来社) ISBN 978-4-404-03612-4では「げんとう」、『裂帛 島津戦記』(学習研究社)ISBN 4-05-602595-9 では「もとひさ」としている〕、天正7年(1579年)〔桐野作人著 『さつま人国誌 戦国・近世編』(南日本新聞社)〕 - 没年不詳)は安土桃山時代の薩摩国島津氏の陪臣で、川上忠兄の被官。後に出石氏を名乗る。一部史料にある柏田源蔵は誤り。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍に属した島津義弘の元へ主君・忠兄に同行し参陣した。その退却戦(島津の退き口)の際に東軍の井伊直政勢100騎が追撃して来たところを、源藤は藪の中から鉄砲を放ち、直政を狙撃して落馬させる大功を上げた(直政はこのときの傷が癒えず、慶長7年(1602年)に死去)。源藤は無事に薩摩国へ戻り、義弘の隠居所のある加治木(現・鹿児島県姶良市加治木町)に住んだが、その後は逼迫して町人になった上に、子孫も断絶したと『本藩人物誌』にある〔『本藩人物誌』には、忠兄流川上氏の家人に子孫だという者があるが、真実であるかは判らないともある。〕。 『旧南林寺由緒墓志』によると、自らが狙撃した直政の死を知り、その弔いの為に墨染の法衣を纏い、回国修行に出たが帰らぬままとなり、死去した地も判らないという〔。 法名は「武山丈心居士」。明和6年(1769年)に建立された墓が、鹿児島の南林寺にある。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柏木源藤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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