|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 栗 : [くり] 【名詞】 1. Japanese chestnut 2. castanea crenata ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 尚 : [なお] 1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less ・ 一 : [いち] 1. (num) one
栗山 尚一(くりやま たかかず、1931年8月2日 - 2015年4月1日)は、日本の外交官、外務省官僚。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐マレーシア大使。父親はベルギー大使などを務めた栗山茂。 == 略歴 == パリ生まれ〔外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」 著者紹介 〕、東京都出身。1951年に東京大学法学部入学。同期に吉原泰助、平賀俊行らがいる。中退後、外務省入省。同期に三宅和助、平岡千之、村角泰がいた。条約課長時代、日中国交正常化に携わった〔【日中国交正常化40年秘話】(1)栗山尚一元駐米大使インタビュー(1972年当時条約課長) MSN産経ニュース 2012年10月7日〕。その後、条約局長、北米局長、駐マレーシア大使、外務審議官、外務事務次官を経て駐アメリカ合衆国大使に就任した。1997年から2002年まで早稲田大学法学部客員教授〔、1999年から2002年まで国際基督教大学客員教授。ほかに、宮内庁参与〔、外務省顧問、一般社団法人アジア調査会会長〔などを歴任した。夫人は栗山昌子〔。 2015年4月1日、肺炎のため死去〔。〔。叙従三位〔2015年5月13日官報〕。NHKスペシャル『戦後70年 ニッポンの肖像-世界の中で-第2回冷戦 日本の選択』(2015年6月20日放送)でインタビューに答えたのが生前最後の公に姿を表した場となった。 * 1954年:外務省に入省〔 * 1981年-1984年:条約局長 * 1984年:北米局長 * 1985年-1987年:マレーシア大使 * 1987年:外務審議官(政務担当) * 1989年8月-1991年8月:外務事務次官〔 * 1992年-1995年:駐アメリカ合衆国大使〔 * 2006年4月-2012年3月:宮内庁参与 * 2007年4月:瑞宝大綬章受章 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗山尚一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|