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桂 三弥(かつら さんや、1971年(昭和46年)9月28日 - )は、三重県名張市出身の落語家。本名 三成 忠司(みなり ただし)。吉本興業(現 よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。上方落語協会会員。名張市初代観光大使〔「観光大使:なぞかけで名張をPR 落語家・桂三弥さんが初代に、市役所で市長から委嘱状 」(毎日jp)/「市観光大使に桂三弥さん 名張市 」(伊賀タウン情報YOU)〕〔2013年7月25日からは音楽家・竹田京右が、2013年8月13日からはWエンジンのチャンカワイが名張市観光大使に就任し、現在名張市観光大使は三人に【参照:「名張市観光大使・竹田京右さん就任 」(伊賀タウン情報YOU)/「Wエンジン・チャンカワイさんが観光大使に 名張市 」(伊賀タウン情報YOU)】〕。師匠は六代桂文枝。出囃子は「お若いの」〔三弥曰く「(落語家になり)10年を過ぎた頃、三味線の御師匠さんに『あんたもそろそろ10年経ったけれど』と一週間出番があった時に日替わりで色々な曲を弾いてもらい、その中から明るくテンポ良く出れるなと思いこの曲を選んだ」。かつて担当していた番組内で落語が始まる時に流れた曲がこの出囃子である。尚、自分の出身地や名前に因んだ曲(例:「福知山音頭」「三百六十五歩のマーチ」)を出囃子にするケースもあるが、三弥曰く「(自分の名前の読みと同じ)『山谷(さんや)ブルース』という有名な歌があるけれど、『今日の仕事は辛かった』という歌詞が(今から落語をしようとする出囃子にするには)一寸・・・」【出典:2013年(平成25年)1月11日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】〕。 == 来歴・人物 == * 三重県名張市立北中学校卒業。在学中は野球部で活躍。尚、同級生には平井堅、伊藤たかみがいたが在学時及び現在、両人共に面識がない模様。 * 三重県立名張桔梗丘高等学校卒業。在学中は陸上部に所属。部長に就任したが、当時おとなしい生徒で、部員達からは部長就任は意外に思われた。本人曰く「先輩に取り入るのが上手かったから」〔当時の陸上部マネージャーによると、入学当初の三弥は背が低く長距離向きではないかと長距離に決まったとの事。また在学中の恋愛に関しては「聞いた事がない」と部活一筋な学生生活を思わせる内容。マネージャーも「(三弥は)異性と意識せずに話せた」。三弥本人によると「先輩達が(同校OBで三弥と入れ替わり卒業した)真面目な性格の実兄を知っている為迂闊な事は出来ないと入学時を過ごし、3年時には実妹が入学した為今度は妹の手前迂闊な事は出来ないとプレッシャーを感じて過ごしていた」。【出典:2011年(平成23年)11月8日OA「You Gotta Music アラフォーの逆襲・桂三弥のルーツを探せ」】〕。駅伝の出場歴がある。 * 神戸学院大学法学部卒業〔4回生の時に阪神・淡路大震災に遭遇。18年を経て当時を振り返った三弥曰く「1単位でも落としたら留年という瀬戸際で、翌日(1月17日)から始まる試験の為、ノートを借りに後輩の家に。夜遅くそのまま泊った事で震災の(直接の)被害から免れた。(この出来事は)『自分のやりたい事をやっていこう』と決断したきっかけの一つになった」【出典:2013年(平成25年)1月18日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】〕。落語研究会の部長を務める〔「司会やコントが多かったため落語の演目をあまり覚えていなかった」【出典:2012年(平成24年)1月10日OA「You Gotta Music」】〕。 * 1997年(平成9年)六代桂文枝(当時は桂三枝)に入門〔大学を卒業してフリーターをしていた時に師匠の弟子だった大学の先輩から声がかかり、1997年(平成9年)1月4日に行われた師匠の新年会に手伝いに来るようにと呼ばれた。新年会も終わろうかという頃に師匠に呼ばれ、色々と質問された後「落語は好きか?」と問う師匠に「はい」と答え「明日から来るか?」と師匠からの言葉をもらい入門した【出典:2012年(平成24年)1月3日・1月4日OA「三弥の寄席にいらっしゃい」】〕。11番目の弟子になる〔実兄のクラウンを一回だけ運転していた事から、師匠との面談の際に「クラウン運転してました」と答えたところ、入門直後に師匠の高級車を運転する事になった。しかし運転席に座った途端にパーキングブレーキの位置が解らずに戸惑ってしまい、その様子を見た師匠に「お前何してんねん」と突っ込まれ、子細を白状した三弥。以後師匠の車を運転する事は暫く無かった。【出典:2012年(平成24年)1月10日OA「You Gotta Music」】〕。芸名は師匠からの一字「三」に、八画の字は縁起が良いと易者に見てもらった師匠が当時弟子につけていた八画の漢字の「弥」。これは入門当時、先輩にあたる桂吉弥が「ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞を受賞し有望な若手噺家として脚光を浴び、その「弥」の字が八画だった事からABCお笑い新人グランプリの司会をした師匠が期待を込めて彼に与えたもの〔2013年(平成25年)4月6日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」〕。 * NHKのドラマ「ちりとてちん」を題材にした落語を故郷で披露したり〔pdfファイル (名張市HP内広報なばり)…消失〕〔「お囃子入りの落語も披露 桂三弥さん落語会 11月3日、藤堂家邸で 」(伊賀タウン情報YOU)〕、独演会を催すなどの活動をしている。また2008年(平成20年)には舞台演劇にも出演〔当初予定されていた配役(消防署署長・石井潤一郎)は演目の中での重要度が高く、本業との掛け持ちの中で畑違いの演技の特訓に苦労する様子がケーブルテレビ番組の中で紹介された。結果的にその役は降板し別の役(消防士1)を務めた。〕〔演劇集団ビーアゲインブログ 〕した。2013年(平成25年)6月末に自身2度目の舞台演劇に出演予定〔2013年(平成25年)6月15日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」〕 * 故郷名張のケーブルテレビ・アドバンスコープの番組内で数々の体当たり企画に挑戦。青山高原つつじクォーターマラソン大会の出場〔2006年(平成18年)5月28日(日)〕、伊賀市名張市に点在する寺を徒歩と自転車で巡った「伊賀四国八十八箇所巡り」〔2007年(平成19年)5月20日(日)から5月24日(木)の5日間〕や、名張市赤目町で切り出したヒノキを約20束の松明に仕上げ、お水取りに使用される為に奈良・東大寺まで運ぶ行事の「松明調進」の全行程を踏破した企画は視聴者に感動を呼んだ。 * 2011年(平成23年)2月から故郷のコミュニティFM・FMなばりでパーソナリティを務めていたが、2013年(平成25年)10月末に卒業。 * 2012年(平成24年)4月4日、名張市役所に於いて亀井利克名張市長から委嘱状が手渡され、名張市初代観光大使に就任した(任期は2015年(平成27年)3月31日まで〔「名張市 初代観光大使に桂三弥さん 「市の落語、創作したい」 」(伊勢新聞)〕)〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桂三弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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