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森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 ==来歴== 静岡学園高等学校1年生の時に高校サッカー選手権準優勝。東京農業大学卒業後の1983年にヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部後、直ちに正GKの座を獲得した。 1985年にサッカー日本代表に選出され、その年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。正GKに松井清隆の存在があった為に控えに甘んじたが、同年9月のアウェー、香港戦に出場。松井に劣らないスーパーセーブを連発。相手のラフプレーにも動じない冷静な守備で、1点は失うものの、2-1の勝利に貢献した。 その後は代表の正GKの座を掴み、1987年のソウルオリンピック最終予選進出に貢献。しかし1988年以降は若手の松永成立が重用され、ワールドカップ・イタリア大会予選では再び控えに甘んじる事になった(平壌でのアウェー戦で負傷した松永に変わり交代出場)。 1993年のアメリカワールドカップアジア地区最終予選前には、怪我により直前まで戦線離脱していた当時の代表第2GK前川和也に代わり「森下では?」とテレビ東京などで報道されたが選出されなかった。 その後もヤマハでは依然として不動の守護神またキャプテンとして活躍し、プロ化しジュビロ磐田となった1993年のジャパンフットボールリーグではJリーグ昇格に貢献。1994年にはJリーグの桧舞台でのプレーも叶ったが、同年オフに磐田から戦力外通告を受け退団。当時ジャパンフットボールリーグ所属でJリーグ昇格を狙っていた京都パープルサンガへ移籍する。磐田時代に続いて京都でもJ昇格に貢献し、1997年シーズンで現役を引退した。 引退後はGKコーチとして後進の指導を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森下申一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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