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森沢幸子(もりさわ さちこ 1943年 )は、日本の卓球選手。熊本県出身〔優勝者の横顔 読売新聞 1967年4月22日夕刊11ページ〕。日本卓球協会から9段に認定されている〔 〕。女子選手ばなれした強打を放つ選手であった。 == 経歴 == === 国内大会 === 専修大学在学中の1963年10月に宮城県の仙台で行われた東日本学生卓球選手権では中央大学の関正子に1-3で敗れて準優勝となった〔東日本学生卓球第3日 読売新聞 1963年10月26日9ページ〕。1964年10月の千葉県営体育館で行われた東日本学生卓球選手権では女子ダブルスで下山智子とのペアで同じ専修大学の大城・磯村組を3-1で破り初優勝した〔東日本学生卓球選手権大会 第2日 読売新聞 1964年10月29日朝刊9ページ〕。1865年1月12日に日本卓球協会が発表したランキングで、山中教子、磯村淳、深津尚子に続いて4位となった〔卓球のランキング 読売新聞 1965年1月13日朝刊8ページ〕。 1964年、1965年に関東学生卓球選手権で下山智子との女子ダブルスで2年連続優勝、1965年度の全日本硬式卓球選手権では準々決勝で関正子に打ち勝ち、準決勝で山中教子を破り、決勝でチームメートの下山智子を3-1で破り優勝した〔新鋭長谷川、木村を破る 全日本硬式卓球選手権 読売新聞 1965年12月6日朝刊10ページ〕。大学卒業後の1966年からは大生信用組合に所属、1966年度の全日本卓球選手権では山中教子に敗れたものの準優勝している〔。女子ダブルスでも下山智子(現古市)とのペアで1965年度に昭和女子大学の境田美智子、尾形正子を破り優勝した。下山とのペアではこの年、関東学生、東日本学生、全日本学生、全日本全てで優勝し、四冠王となった〔斎藤組(早大)が初優勝 女子複 下山組(専大)が"四冠王"に 読売新聞 1965年12月5日 朝刊8ページ〕。 連覇を目指した1966年11月に行われた全日本卓球では決勝に進出して山中教子と対戦したが、サーブ、レシーブに凡ミスが見られ、1-3で敗れた〔男子、長谷川が連勝 女子は2年ぶりに山中 全日本卓球シングルス 読売新聞 1966年11月28日朝刊10ページ〕。 1967年に創設された全日本社会人卓球選手権の女子シングルスで、第1回は決勝で同じ大生信用金庫所属の徳重を破り優勝〔全国社会人卓球選手権 読売新聞 1967年9月18日朝刊10ページ〕、同年の全日本卓球では準々決勝で大関行江にストレートで敗れた〔伊藤(専大)に初の栄冠 女子は大関(青学大)が王座に 全日本卓球最終日 読売新聞 1967年12月4日朝刊10ページ〕。 1968年の第2回全日本社会人大会でも優勝している。 1969年の全日本卓球選手権の前に現役を引退した〔伊藤中心に混戦 女子は小和田が抜群 5日から全日本卓球 読売新聞 1969年12月3日 朝刊11ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森沢幸子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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