|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 幹 : [みき] 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base
椎原 国幹(しいはら くにもと、1820年 – 1899年10月26日)は、鹿児島県出身の旧薩摩藩士。 == 来歴・人物 == 幼名は鉄太郎。その後、予三次、与右衛門、国幹と改名。号は厚助。西郷隆盛の母・政(まさ)の弟で、西郷隆盛の叔父に当たるが、西郷とは年齢が近かったため実際には兄のような存在であった。 鹿児島市の平馬場(現在の中山町付近)に生まれる。1877年の西南戦争では西郷軍に付くが、敗戦と同時に延岡で降伏、宮城監獄にて2年間服役した。嫡子である嘉八郎も西郷側に従軍したが、銃創を負い、宮崎病院にて20歳で死去した。 服役後は鹿児島県の教育発展と後進育成に尽力し、1881年には公立鹿児島学校校長に就任。のち、島津忠済の家令も努めた。80歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「椎原国幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|