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榛名 由梨(はるな ゆり、1945年8月19日 - )は、兵庫県三田市出身の女優で宝塚歌劇団卒業生。元宝塚歌劇団月組・花組男役トップスターで専科にも所属した。 本名:山下 正代(やました・まさよ)、愛称はショーちゃん。身長(現在の公称)166センチ、血液型A型。現在の所属事務所は株式会社プランニングはるなJ。 == 略歴 == *大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。 *中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い〔朝日新聞紙面とOGが振り返る『宝塚歌劇 華麗なる100年』 榛名由梨×鳳蘭×汀夏子対談 (朝日新聞、2014年4月8日)〕、西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は旧海軍で戦艦『榛名』に搭乗していた父が同船にちなみ命名とされるがデマ。実際は命名の際に実弟が所有していた模型が『榛名』だったのでそこから命名した。 *1963年、宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は62人中3位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、66-67頁。ISBN 9784484146010〕。初舞台公演の演目は星組公演『花詩集-1963年〔』。49期生。大滝子・郷ちぐさらが同期。その後1964年12月1日〔に月組に配属。 *1968年、月・雪合同公演『ウエスト・サイド物語』で頭角を現す。若手時代はまずダンスで実力を発揮した。 *1973年月組トップ古城都の退団を受け、同期・大と複数体制ながらトップスターに就任。 *1974年2月トップ披露公演『白い朝/ロマン・ロマンチック』。 *同年8月『秋扇抄/ベルサイユのばら』初演(月組)で男装の麗人・オスカルを演じた。 *1975年1月、花組へ異動。2期下の安奈淳と共にダブルトップに。 *同年7月、『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを演じ、オスカルを演じた安奈と熱狂的なベルばら旋風を巻き起こした。このころ安奈、汀夏子、鳳蘭とともに「ベルばら四強」(あるいは「ベルばら四天王」)と呼ばれた。 *1976年2月、『あかねさす紫の花』初演。中大兄皇子役。同年月組へ復帰、6月22日に退団した大の後任として月組男役(単独)トップに”返り咲き”就任。 *1977年3月、『風と共に去りぬ』で初代レット・バトラーを演じる。初めてトップスターが口髭をつけたと話題に。 *1979年、月組トップでありながら副組長も兼務する異例・破格の扱いとなる。 *1981年1月、『新源氏物語』初演。光源氏役。 *1982年、『あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー』(本公演)、『永遠物語』(宝塚バウホール公演・初演)。同年『シブーレット』(宝塚バウホール公演)を最後に大地真央にトップを譲る形で専科へ組替。 *1983年、星組『オルフェウスの窓』に出演。 *1984年、春日野八千代、神代錦ら専科メンバーによるストレート・プレイ「花供養」(バウ・初演)近衛信尋役。 *1985年、花組『愛あれば命は永遠に』に出演。 *1986年、雪組『三つのワルツ』に出演。 *1988年、『永遠~』を宝塚バウホールで再演、星組『戦争と平和』東京公演千秋楽が最終出演公演〔。同年12月31日付〔をもって南風まい、但馬久美らと同時退団。以降は女優として舞台を中心に活動しているほか、『ベルサイユのばら』の再演時にはスタッフとして演技指導を行っている。また、宝塚市の広報大使も務めている〔榛名由梨・プロフィールページ (宝塚市ホームページ)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「榛名由梨」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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