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樊崇[はん すう]
樊 崇(はん すう、? - 27年)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将。字は細君。徐州琅邪郡の人。新代に蜂起した農民軍である赤眉軍の頭領である。なお、後漢の大司徒鄧禹の配下にも同姓同名の人物(驍騎将軍)が存在するが、これは別人である。 == 事跡 ==
=== 泰山での蜂起 ===
呂母の乱から数年後に、莒(琅邪郡)で100人余りで挙兵し、泰山(太山)郡に入って三老を号した。当時、青州と徐州は大飢饉に見舞われ、各地で盗賊が蔓延っていたが、これらの盗賊は樊崇を勇猛な人物とみなしてその傘下に加わり、1年ほどの間に1万人余りの軍勢に膨らんだ。さらに、琅邪郡出身の逄安、東海郡の徐宣、謝禄、楊音らも加わり、数万の軍勢となっている。 最初、莒を攻撃したが攻略できず、転じて姑幕(琅邪郡)を攻撃し、地皇2年(21年)、探湯侯田況の軍を撃破した。樊崇の軍は、さらに青州で略奪を働いた後に泰山に引き返したが、この頃から、盗賊の寄せ集めだった樊崇の軍が次第に軍隊としての組織、規律を整えていくようになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樊崇」の詳細全文を読む
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