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樋口健三 : ミニ英和和英辞書
樋口健三[ひぐち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とい, ひ]
 【名詞】 1. water pipe 2. gutter 3. chute 4. trough
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [み]
  1. (num) three 

樋口健三 ( リダイレクト:樋口杏斎 ) : ウィキペディア日本語版
樋口杏斎[み]

樋口 杏斎(ひぐち きょうさい、天保13年6月7日1842年7月14日) - 1917年大正6年)11月11日)は幕末明治時代徳島県の教育者。名は健三。元治元年(1864年)櫛淵村(小松島市櫛渕町)の自宅に寺子屋敬義斎を開き、1874年(明治7年)櫛渕小学校(現小松島市立櫛渕小学校)に改組、1906年(明治39年)退職するまで長く初等教育に携わった。日本史学者喜田貞吉の恩師。
== 生涯 ==

=== 維新前 ===
天保13年(1842年)6月7日阿波国那賀郡櫛淵村に医者樋口才庵の長男として生まれた。
嘉永元年(1848年)1月父才庵より習字、素読を習い、安政4年(1857年)1月から名東郡富田浦櫛淵駒蔵、安政6年(1859年)4月から富田幟町湯浅道輔に漢学を学び、岡本斯文に経史学を学んだ。文久3年(1863年)帰郷し、父や寺島町寺沢道庵に漢方医学を学んだ。
元治元年(1864年)1月自宅に寺子屋敬義斎を開き、村民に読み書き算盤を教えた。1873年(明治6年)6月寺島町阿部有清代数学幾何学を学び、の代数書を取り寄せて研究した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「樋口杏斎」の詳細全文を読む




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