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樋口 杏斎(ひぐち きょうさい、天保13年6月7日(1842年7月14日) - 1917年(大正6年)11月11日)は幕末、明治時代の徳島県の教育者。名は健三。元治元年(1864年)櫛淵村(小松島市櫛渕町)の自宅に寺子屋敬義斎を開き、1874年(明治7年)櫛渕小学校(現小松島市立櫛渕小学校)に改組、1906年(明治39年)退職するまで長く初等教育に携わった。日本史学者喜田貞吉の恩師。 == 生涯 == === 維新前 === 天保13年(1842年)6月7日阿波国那賀郡櫛淵村に医者樋口才庵の長男として生まれた。 嘉永元年(1848年)1月父才庵より習字、素読を習い、安政4年(1857年)1月から名東郡富田浦櫛淵駒蔵、安政6年(1859年)4月から富田幟町湯浅道輔に漢学を学び、岡本斯文に経史学を学んだ。文久3年(1863年)帰郷し、父や寺島町寺沢道庵に漢方医学を学んだ。 元治元年(1864年)1月自宅に寺子屋敬義斎を開き、村民に読み書き算盤を教えた。1873年(明治6年)6月寺島町阿部有清に代数学、幾何学を学び、の代数書を取り寄せて研究した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「樋口杏斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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