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橘 海雄(たちばな の あまお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。弾正大弼・橘長谷麻呂の子。官位は正四位下〔『尊卑分脈』〕・右京大夫。 == 経歴 == 承和8年(841年)従五位下・民部少輔次いで右衛門権佐に叙任。翌承和9年(842年)左京采女町の西北4分の1を賜与される。のち、刑部少輔・兵部少輔・弾正少弼を経て、承和13年(846年)備前守として地方官に転じる。 翌承和14年(847年)には早くも左少弁に任ぜられて京官に復帰すると、仁明朝末から文徳朝にかけて弁官を務め、仁寿3年(853年)には蔵人頭兼左中弁に至る一方で、嘉祥3年(850年)従五位上、仁寿4年(854年)正五位下と昇叙されている。またこの間、嘉祥2年(849年)には渤海使の帰国にあたり勅書と太政官牒を伝達するために鴻臚館へ派遣されている。 しかし、斉衡3年(856年)病気により蔵人頭を辞任し、翌斉衡4年(857年)従四位下・越前守に叙任され再び地方官に転じる。清和朝に入り貞観元年(859年)右京大夫として再び京官を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橘海雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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