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橘澄清 : ミニ英和和英辞書
橘澄清[たちばな の すみきよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たちばな]
 【名詞】 1. kind of citrus fruit 

橘澄清 : ウィキペディア日本語版
橘澄清[たちばな の すみきよ]

橘 澄清(たちばな の すみきよ、貞観元年(859年) - 延長3年5月6日〔『日本紀略』『公卿補任』〕(925年5月30日)または同年9月3日〔『尊卑分脈』〕(同年9月23日))は、平安時代前期の公卿参議橘常主の孫である信濃橘良基の五男。橘氏是定官位従三位中納言
== 経歴 ==
寛平2年(890年文章生となり、寛平6年(894年渤海使伯耆国に到来した際には伯耆権掾に任ぜられている。六位蔵人兵部少丞を経て、寛平9年(897年従五位下伊予に叙任される。のち、讃岐権介・播磨介・伊予介・伊予守・太宰大弐と専ら地方官を歴任し、この間、延喜2年(902年)従五位上、延喜6年(906年正五位下、延喜9年(909年従四位下と順調に昇進している。
延喜11年(911年勘解由長官として京官に復帰すると、次いで左中弁・右大弁と弁官を経て、延喜13年(913年参議兼左大弁に任ぜられ公卿に列した。延喜21年(921年従三位中納言に叙任された。『延喜式』・『延喜交替式』の編纂にも加わっている。
娘が藤原中正と結婚し、その所生である時姫藤原兼家(後の摂政)と結婚してその子孫が摂関家を継いだことから、10世紀後期に橘氏の公卿が途絶えると、摂関家が是定の地位を占める口実とされた(藤原道隆道長ら兄弟は澄清の曾孫にあたるため)。
京都市伏見区にある道澄寺は、清澄が甥の藤原道明(良基の外孫)とともに創建したと伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「橘澄清」の詳細全文を読む




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