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櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、俳人。北海道余市郡出身。当初は短歌を学んだがのちに俳句に転向、口語表現を生かしつつ、男女の性愛や、強さとエレガンスを持つ女性像を描き出した作品で知られる。代表句に「シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は」「春は曙そろそろ帰つてくれないか」「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」などがある。「銀化」同人。 == 経歴 == 北海道余市郡余市町に生まれる。北海道小樽潮陵高等学校時代より詩を作っては投稿をしていた。1980年、一浪ののち青山学院大学文学部日本文学科入学。1984年、同大学院文学研究科博士課程日本文学日本語専攻に進学、1991年、修業年限満了。1987年より、大学院の知人の誘いで武川忠一主宰の「音」短歌会に入会。1989年、タイプの違う歌が作りたくなり塚本邦雄主宰の「玲瓏」短歌会にも入会。翌年、「あなたの歌は五七五で終わっている」という玉井清弘の指摘をきっかけに、大牧広主宰の「港」俳句会に入会。1991年からは短歌会を退会し、以後句作に専念。1992年、「港」新人賞。のち同人賞、評論賞なども受賞する。この年、前年に入院していた父が死去。 1993年から95年にかけ、断続的にイギリスに滞在。1996年第一句集『貴族』出版。1997年、佐佐木幸綱に出会い、短歌結社「竹柏会」(歌誌「心の花」)に入会。同年『貴族』にて第二回中新田俳句大賞受賞。また復本一郎の推挙で神奈川大学経営学部非常勤講師となる。1998年、中原道夫の「銀化」創刊に伴い入会。1999年「港」退会。2000年、第二句集『蒙古斑』出版。この年夫と別れ、10月に再婚。2004年、『季語の底力』により俳人協会評論新人賞受賞。現在「銀化」同人。俳人協会、国際俳句交流協会、日本文藝家協会会員。 2002年、奥坂まやが『俳句研究』9月号において、櫂の『蒙古斑』収録句「いきいきと死んでゐるなり水中花」によく似た「いきいきと死んでをるなり兜虫」という句を、櫂の作品を知りながら敢えて発表した。これに対し櫂は同誌11月号において「奥坂まやさんに問う―俳句のオリジナリティーとは―」を掲載し抗議。奥坂は同じ号に自分の非を認める謝罪文を掲載し自作を抹消したが、このことは類句の問題をめぐって俳壇を刺激し、両者作への賛否を含め様々な意見を呼ぶ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「櫂未知子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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