|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 次 : [つぎ] 1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station ・ 太夫 : [たゆう] 【名詞】 1. (1) leading actor in a Noh play 2. (2) (Edo-period) courtesan ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband ・ 堀 : [ほり] 【名詞】 1. moat 2. canal
六郷用水(ろくごうようすい)は、東京都(旧武蔵国)にかつて存在した用水路。建設指揮監督者小泉次大夫の名を取って次大夫堀(じだゆうぼり)とも呼ばれる。 == 概要 == 多摩郡和泉村(現在の東京都狛江市元和泉)の多摩川を水源とし、世田谷領と六郷領、つまり現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る用水路であった。 延長は23kmで、49の村、約1500haに、主に農業用水として水を供給した。 多摩川の対岸の川崎市を流れる二ヶ領用水(同じく小泉次太夫が建設指揮監督)と合わせて四ヶ領用水(よんかりょうようすい)とも呼ばれる。 1597年からの14年かけて用水が開削された。開通後100年を経過したころ荒廃したが、1725年に代官田中丘隅(休愚)の手により改修された。この改修は、二ヶ領用水と並行して行われた。この改修後、世田谷領でも六郷用水が利用できるようになった。 廃止されたのは1945年である。宅地化が進み、大半は1970年代までに埋め立てられたか雨水用の下水道となった。流路の大半が失われたため「幻の六郷用水」と呼ぶ向きもある。 一部区間(世田谷区岡本~大田区田園調布)は丸子川として残っている。また、世田谷区喜多見では、同じ場所に野川からの取水により次大夫堀が再現されて次大夫堀公園となっている。大田区内では、中原街道から東の東急多摩川線の多摩川駅~鵜の木駅付近に湧水を使って用水路が再現されていて、残りは歩道になっている。 現在、用水の跡地は、道路、緑道(遊歩道)、次大夫堀公園のほか、未だ更地の場所もある。 なお、六郷用水は既存の多くの河川と分合流あるいは交差していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六郷用水」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|