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欽成皇后(きんせいこうごう、1052年 - 1102年3月13日)は、北宋の皇帝神宗の側室。哲宗の母で、皇后として追尊された。姓は朱氏。 == 経歴 == 開封の人。実父の崔傑を早くに亡くし、母は朱士安に再嫁した。継父の朱士安が貧窮したため、朱氏は任廷和の養女となった。 その後、後宮に入って御侍(皇帝の側女)となった。趙傭(のちの哲宗)など多くの子供を産み、才人、婕妤、昭容、賢妃に進み、徳妃にいたった。 幼い哲宗が即位すると、姑の宣仁太后により皇太妃に封ぜられ、皇太后向氏より低い待遇を受けた。宣仁太后が崩ずると、親政する哲宗により皇太后と同じ扱いを受け、実父、継父、養父の三族は官爵を授けられた。 元符3年(1100年)に哲宗が崩じた際、嗣子がなかったので、章惇は皇太妃の次男の趙似を推薦したが、皇太后向氏が反対した。結局、向氏が神宗の息子のうちから、実母が薨去していた端王趙佶(のちの徽宗)を帝位に即かせた。同年、「聖瑞」の徽号が朱氏に贈られた。崇寧元年2月16日(1102年3月13日)、朱氏は薨去した。皇后を追贈され、「欽成」と諡された。 欽宗の皇后の朱氏は欽成皇后の姪(異父弟の息女)である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「欽成皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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