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正田 篠枝(しょうだ しのえ、1910年12月22日 - 1965年6月15日)は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる。 == 戦前までの生涯 == 1910年(明治43年)に誕生。1920年(大正9年)に広島市に転居。広島市大手町小学校卒業後、旧制安芸高等女学校(後の安芸学園安芸女子高等学校、さらに後に廃校)に編入。浄土真宗が盛んな広島において、同学校は真宗安芸婦人会が母体となって設立されており、後に篠枝の詠む歌に仏教思想を背景とした語句が多く用いられるなど、彼女の人生観に大きな影響を与えた。 学校卒業後は父の仕事を手伝う傍ら、1929年(昭和4年)頃より短歌誌『短歌至上主義』『香蘭』に投稿を始め、『短歌至上主義』主宰者である杉浦翠子らに師事した〔。1931年(昭和6年)に結婚して一子をもうけるが、1940年(昭和15年)に夫と死別した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正田篠枝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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