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正親町三条実蔭(おおぎまちさんじょう さねかげ)は鎌倉時代初期の公卿。参議従三位備中権守。初名は実茂〔『尊卑分脈』の記事による。〕。父は三条大納言正親町三条公氏、母は按察使藤原泰通の娘〔『尊卑分脈』の「藤原泰通」の項ではこの女性に関する記述がない。〕。子には公貫、公行、公蔭、公種がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建保3年(1215年)2月15日、侍従に任ぜられる。建保7年(1219年)1月22日、遠江権介を兼ねる。承久3年(1221年)8月29日、従五位上に昇叙。12月12日、右少将に任ぜられる。貞応元年(1222年)11月22日、正五位下に昇叙〔宣陽門院当年御給。〕。元仁元年(1224年)1月23日、従四位下に昇叙。 嘉禄3年(1227年)1月26日、右中将に転任。安貞2年(1228年)1月5日、従四位上に昇叙〔安嘉門院当年御給。〕。貞永元年(1232年)1月5日、正四位下に昇叙〔安嘉門院当年御給。〕。貞永2年(1233年)1月24日、相模介を兼ねる。嘉禎4年(1238年)1月22日、前年に薨去した父公氏の喪から明けて復任。4月20日、蔵人頭に補される。 延応元年(1239年)1月24日、参議に任ぜられる。右中将はもとの如し。10月28日、従三位に叙される。延応2年(1240年)1月20日、備中権守を兼ねる。仁治2年(1241年)5月5日、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正親町三条実蔭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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