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正親町家 : ミニ英和和英辞書
正親町家[おおぎまちけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
町家 : [ちょうか, まちや]
 【名詞】 1. house in the middle of a town 2. merchant's family
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

正親町家 : ウィキペディア日本語版
正親町家[おおぎまちけ]

正親町家(おおぎまちけ)は羽林家の家格を有する公家藤原北家閑院流洞院家支流。本家である洞院家は室町期に断絶したが、清華クラスの家柄であった。江戸時代の家禄は355石。明治維新後、伯爵
太政大臣西園寺公経の孫で、太政大臣洞院公守の二男正親町実明から始まる。
家名の由来は、正親町東洞院南西角に屋敷にあったことに由来しているが、その屋敷が土御門東洞院殿の裏築地に面していたことから、裏築地(うらついじ)もしくはそれが変じた裏辻(うらつじ)とも称した。後に分家した一流が「裏辻」と称したのはこれに由来している〔桃崎有一郎『中世京都の空間構造と礼節体系』思文閣出版、2010年 P474・486-487〕。
江戸時代元禄時代の正親町町子は、実豊の女で柳沢吉保側室である。「松蔭日記(東源氏)」を著わした才媛として知られる。寛政年間の公明は、尊号一件中山愛親とともに処分された。
明治維新後の1884年明治17年)7月8日実正伯爵の位を授けられた。実正は、埼玉県知事、侍従長賞勲局総裁を歴任した。
== 歴代当主 ==

* 初代:正親町実明
* 2代:正親町公蔭
* 3代:正親町忠季
* 4代:正親町実綱
* 5代:正親町公仲
* 6代:正親町実秀
* 7代:正親町持季
* 8代:正親町公兼
* 9代:正親町実胤
* 10代:正親町公叙
* 11代:正親町季秀
* 12代:正親町季俊
* 13代:正親町実豊
* 14代:正親町公通
* 15代:正親町実連
* 16代:正親町公明
* 17代:正親町実光
* 18代:正親町公道
* 19代:正親町実徳
* 20代:正親町実正
* 21代:正親町公和

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「正親町家」の詳細全文を読む




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