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正親町家(おおぎまちけ)は羽林家の家格を有する公家。藤原北家閑院流。洞院家支流。本家である洞院家は室町期に断絶したが、清華クラスの家柄であった。江戸時代の家禄は355石。明治維新後、伯爵。 太政大臣西園寺公経の孫で、太政大臣洞院公守の二男正親町実明から始まる。 家名の由来は、正親町東洞院南西角に屋敷にあったことに由来しているが、その屋敷が土御門東洞院殿の裏築地に面していたことから、裏築地(うらついじ)もしくはそれが変じた裏辻(うらつじ)とも称した。後に分家した一流が「裏辻」と称したのはこれに由来している〔桃崎有一郎『中世京都の空間構造と礼節体系』思文閣出版、2010年 P474・486-487〕。 江戸時代元禄時代の正親町町子は、実豊の女で柳沢吉保の側室である。「松蔭日記(東源氏)」を著わした才媛として知られる。寛政年間の公明は、尊号一件で中山愛親とともに処分された。 明治維新後の1884年(明治17年)7月8日実正に伯爵の位を授けられた。実正は、埼玉県知事、侍従長、賞勲局総裁を歴任した。 == 歴代当主 == * 初代:正親町実明 * 2代:正親町公蔭 * 3代:正親町忠季 * 4代:正親町実綱 * 5代:正親町公仲 * 6代:正親町実秀 * 7代:正親町持季 * 8代:正親町公兼 * 9代:正親町実胤 * 10代:正親町公叙 * 11代:正親町季秀 * 12代:正親町季俊 * 13代:正親町実豊 * 14代:正親町公通 * 15代:正親町実連 * 16代:正親町公明 * 17代:正親町実光 * 18代:正親町公道 * 19代:正親町実徳 * 20代:正親町実正 * 21代:正親町公和 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正親町家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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