|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well
武井 群嗣(たけい ぐんじ、1889年(明治22年)9月17日〔『新編日本の歴代知事』861頁。〕 - 1965年(昭和40年)1月26日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1965年1月28日朝刊(13面)、2014年7月10日閲覧〕)は、群馬県出身の内務・厚生官僚、国会職員。官選県知事、厚生次官。 ==経歴== 武井捨五郎の二男として生まれる〔。東京高等師範学校に入学し、在学時は蹴球部(現:筑波大学蹴球部)に所属した。東京高師卒業後の1917年5月、第3回極東選手権競技大会の日本代表に佐々木等や藤井春吉らと共に選出され、2試合に出場した。 1919年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1920年、京都帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し衛生局属となる〔〔『新編日本の歴代知事』200頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』225頁。〕。 以後、東京都事務官、内務事務官、内務省土木局道路課長、同河川課長などを歴任〔〔。 1936年10月、山形県知事に就任〔。1939年4月、山口県知事に転任。旱害・水害の対策、教育是の制定、山口県立女子専門学校の設立などに尽力。1941年8月、厚生省人口局長に転じた。同年11月、厚生次官に任じられ1944年4月まで在任し退官。戦災援護会理事長、済生会理事長に就任〔〔。戦後、公職追放となった〔。 1950年、参議院常任委員会専門員に就任。以後、済生会理事長、全国防災協会副会長、同最高顧問を務めた〔〔。 1965年1月26日、東京都品川区でパーキンソン病により死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武井群嗣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|