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第9師団(だいきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 日清戦争の後、軍備増強の必要性から1898年(明治31年)に新設された6個師団の一つで、北陸の富山・石川・福井各県の兵士で構成され、衛戍地を金沢として編成された師団である。第18師団(久留米市)と、陸軍内部でその精鋭さでは双璧といわれた。1898年11月8日、師団司令部と師団監督部が開庁した〔『官報』第4609号、明治31年11月9日〕。同年11月29日、監督部は旧金沢城内の新築庁舎に移転〔『官報』第4628号、明治31年12月2日〕。 1940年(昭和15年)8月から師団の衛戍地は満州となり、代替の常設師団として第52師団が編成された。またこの時、歩兵第36連隊を第28師団に転出させて三単位編制に改編された。 == 大陸戦線 == 1904年(明治37年)に日露戦争が勃発すると、師団長大島久直中将の下で出征し、乃木希典大将率いる第3軍隷下で旅順攻囲戦に参加する。旅順では師団所属の歩兵連隊長全員が負傷する激しい戦闘となった。続いて参加した奉天会戦でも、山砲兵第9連隊長まで戦死するという大打撃を受けている。日露戦争後、約2年間朝鮮半島に駐留した。1914年4月14日、師団司令部留守部を設置し事務を開始〔『官報』第493号、大正3年3月24日。〕。1916年4月30日、師団司令部が金沢衛戍地に帰着した〔『官報』第1125号、大正5年5月4日。〕。1918年6月12日、兵器部が司令部構内で事務を開始〔『官報』第1776号、大正7年7月4日。〕。 1921年(大正10年)シベリア出兵に参加する。 1932年(昭和7年)1月に起こった第一次上海事変にも動員された。その後1935年(昭和10年)から約2年間の満州駐剳任務に就き、1937年(昭和12年)2月に帰国する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第9師団 (日本軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 9th Division (Imperial Japanese Army) 」があります。 スポンサード リンク
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