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陸軍武功徽章(りくぐんぶこうきしょう)は太平洋戦争中に大日本帝国陸軍で制定された栄章。武功章とも略される。 ==沿革== ヨーロッパ諸国の軍事勲章(英: Military Order)が戦争継続中でも随時叙勲が行われるのに対し、日本の金鵄勲章の戦死者以外に対する叙勲は、原則として戦争終了後に論功行賞が行われ、その結果により行われていた。また、戦場に於いて顕著な働きのあった将兵に対してその都度授与される各種の戦功章(英: Military decoration〔''Military decoration''には従軍記章(Campaign medal)等も含まれるが、その他に戦功に対して授与される各種の章も殆どの国で制定されている。その制度は国によって異なる。〕)が殆どの国の軍隊では制定されているが、日本では制定されていなかった。しかし、大東亜戦争が長期化したため、前線で戦い続ける将兵の功績を顕彰する制度が無いことに不都合が生じるようになった〔朝日新聞昭和19年12月13日付〕。そこで陸軍は昭和19年(1944年)、陸軍武功徽章を制定した(昭和19年12月7日軍令陸第18号「陸軍武功徽章令」)。軍司令官クラス以上の長官は陸軍武功徽章令に基いて、武功抜群の者に対して戦闘直後に陸軍武功徽章を与えることが出来るとされ、その権限は師団長もしくは師団長に準ずる所管長官に委譲することが出来るとされていた(陸軍武功徽章令第1条)。 武功徽章には甲種と乙種があり、甲種は陸海軍感状授与規定により個人として表彰を受けた者へ、乙種は甲種に及ばないながらも表彰することが適当である者へ、それぞれ授与することとされた(同令第3条)。 陸軍武功徽章は当時同盟国であったドイツの鉄十字章の影響を受けており、黒い古代の楯を縦横に交差させた構図は同章と類似し、佩用式及び着用規定は一級鉄十字章に近い。そのため勲章と違い、飛行服にも着用された(同令第6条)。デザインは、縦横に交差させた楯の中央に銀色の鉾と旗が配され、金色の「武功」の文字が入る。また甲種は楯や裏面が銀色なのに対し、乙種が楯や裏面が赤銅色となる(同令附図)。 『B29撃墜記』によると、著者で元陸軍大尉の樫出勇が初の陸軍武功徽章受章者とされる〔陸軍武功徽章令施行後の受章第1号は、1944年12月16日付で武功徽章乙種を受章した独立飛行第52中隊の福田俊夫大尉(陸士55期)と福地利喜松軍曹となっている。それに対し、樫出(当時は中尉)が武功徽章乙種を受章したのは1945年5月8日付である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陸軍武功徽章」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bukochosho 」があります。 スポンサード リンク
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