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武洲丸(ぶしゅうまる)は、日之出汽船(現:NYKバルク・プロジェクト貨物輸送)が保有した貨物船である。1918年に進水し、初期は若葉丸の船名で佐藤商店が船主だった。太平洋戦争中の1944年9月25日に徳之島から本土に疎開する民間人ら200人以上を乗せて航行中、アメリカ海軍の潜水艦により撃沈されて乗船者の8割以上が死亡した。南西諸島からの疎開船のうち、対馬丸以外で潜水艦に撃沈された唯一の船でもある〔第162国会 衆議院予算委員会第五分科会 2005年2月25日 、川内博史衆議院議員および大槻勝啓政府参考人(厚生労働省大臣官房審議官)の発言。〕〔航空機による被害としては、一心丸が撃沈されて50人以上が死亡した尖閣諸島戦時遭難事件がある。〕。 == 船歴 == 武州丸は、横浜市鶴見区の浅野造船所で建造され、1918年(大正7年)に進水した。武州丸の同型船として勢洲丸、相洲丸、対洲丸の3隻が同所で建造されており〔、武洲丸型と称されることもある〔岩重(2011年)、45頁。〕。竣工時のトン数は1219総トン〔逓信省管船局(編) 『大正八年 日本船名録』 帝国海事協会、1919年、104頁。〕。船尾に機関室、船体中央に船橋を置いた形式の小型貨物船である〔。小型船に珍しく吊上げ能力が大きなヘビーデリックを装備しているのが特色で、設備の不十分な港湾での荷役や重量物運搬に適した設計だった。本船の設計図は、後に、東海道本線丹那トンネル用の25m軌条運搬を目的として浅野造船所が建造した長尺物運搬船八幡丸(日之出汽船:1851総トン)の原型に流用されて好評を博し、日之出型貨物船と称されて派生仕様(1D型戦時標準船等)も含め60隻以上が量産された〔。 武州丸は浦賀の株式会社佐藤商店が船主となり、初めは若葉丸と命名された〔。同型船3隻が浅野造船所のストックボートとなり〔、後に同じ浅野財閥系の日之出汽船へ引き取られたのと経緯が異なっている。その後、1926年(大正15年・昭和1年)に若葉丸も日之出汽船に取得され〔逓信省管船局(編) 『昭和二年 日本船名録』 帝国海事協会、1927年、103頁。〕、翌年までに武洲丸と改名した〔逓信省管船局(編) 『昭和三年 日本船名録』 帝国海事協会、1928年、84頁。〕。 太平洋戦争中も武洲丸は軍の徴用を受けず民需用の商船として運航されたが、開戦半年前の1941年(昭和16年)5月11日付で、民間商船のまま乗員は海軍軍属として扱われる海軍指定船に指定されている〔第二復員局残務処理部 『海軍指定船名簿』 1952年4月作成、JACAR Ref.C08050091700、画像7枚目。〕。開戦後に船舶運営会が創設されると、武洲丸も他の全て民需船と同様に国家徴用され、船舶運営会が運航実務者に選定した山下汽船を通じて管理されることになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武洲丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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