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武市富子 : ミニ英和和英辞書
武市富子[たけち とみこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
  1. (n-suf) city 
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

武市富子 : ウィキペディア日本語版
武市富子[たけち とみこ]

武市 富子(たけち とみこ、天保元年(1830年) - 大正6年(1917年4月23日)は、幕末の志士・武市瑞山の妻。高知藩郷士・島村雅風 (源次郎)の長女。ロシア正教日本人初の司祭沢辺琢磨は従弟〔沢辺の従弟が坂本龍馬。〕。
嘉永2年(1849年)、武市瑞山に嫁ぐ。夫の瑞山は土佐の若手志士たちと交流が深く、富子はたびたび訪れる志士たちの応対に努め、夫を助けた。文久3年(1863年)、瑞山が投獄されると、自分も夫の辛苦を共にするために、その日以来、板の間で寝て決して畳で眠らず、夏は蚊帳をせず、冬は蒲団を使わずに過ごしたという。慶応元年(1865年)夫が切腹となると家財の尽くを没収され、困窮を内職でもって生計を立てた。
瑞山との間には実子は無かったが、養子に半太を迎え、共に東京に引っ越すも、明治45年(1912年)、半太とともに土佐に帰郷した。
叔父が島村雅事、従弟が島村衛吉である。
== 脚注 ==


category:幕末土佐藩の人物
category:1830年生


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武市富子」の詳細全文を読む




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