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武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 2013年7月1日)は、昭和中期(1950年代初頭 - 1960年代前半)のプロ野球選手(投手)。岐阜県稲葉郡前宮村(現:各務原市)出身。右投げ右打ち。 史上2人目の完全試合達成者。 沢藤光郎・黒尾重明・関根潤三らとともに、草創期の近鉄パールスの主力投手の一人として活躍した。 1954年までの姓名は田中 文雄(たなか ふみお)。1955年に結婚し、夫人の実家である武智家の婿養子となり改姓する。元阪急ブレーブスの田中照雄投手、元東急フライヤーズの田中和男内野手は弟。 == 来歴・人物 == 岐阜商業学校を経て、戦時中は予科練に入隊する。戦後、ノンプロチームの大日本土木でプレーした後、1950年に新設の近鉄パールスへ入団。 初年度から一軍入りするものの、夏までに1勝も挙げることができず、藤田省三監督の反対を押し切って上手投げからアンダースローに転向。9月23日の大映スターズ戦では、スタルヒンと投げ合って初勝利を挙げている。 下手からの切れのいいシュートを武器に、エースとして弱小チームを支えた。1954年には26勝を挙げ、最多勝利を獲得。1955年6月19日、大阪球場で行われた大映戦では、プロ野球史上2人目の完全試合を達成している。なお、同年8月30日の大映戦でも9回1死までパーフェクトに抑えている。 1962年オフ、36歳で現役を引退。その後は近鉄バファローズの二軍投手コーチ、野球解説者を経て、父親が経営する「西陣織産ネクタイ」に入社する。1987年社長に就任。なおネクタイのブランド名は「パーフェクト」という。 2013年7月1日午後8時20分、心不全のため京都市の病院で死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武智文雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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