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武正 公一(たけまさ こういち、1961年3月23日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(6期)、元民主党組織委員長。 財務副大臣(野田第3次改造内閣)、外務副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、衆議院総務委員長、埼玉県議会議員(2期)等を務めた。 == 来歴 == 静岡県清水市(現静岡市)生まれ。父は造船技師。幼少期に埼玉県浦和市へ転居した。埼玉県立浦和高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業〔衆議院議員たけまさ公一:プロフィル 〕。大学時代はテニス部に所属し、中華人民共和国でテニスの指導を行った経験もある。卒業後に松下政経塾に入塾。1990年には「浦和プロサッカー球団をつくろう会」の発起人代表を務めた。 1991年、埼玉県議会議員選挙に出馬したが、次点で落選。1995年、連合の支援を受けて再度埼玉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。1999年に再選されるが、翌2000年に2期目の任期途中で辞職。第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で埼玉1区から出馬し、自由民主党前職で元大蔵大臣の松永光を破り、当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、保守新党元職の金子善次郎を大差で破り再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では保守新党の金子に2,922票差まで詰め寄られたが、小泉旋風による民主党への逆風をはね返し、埼玉1区で3選。2006年9月、小沢一郎代表の下で民主党次の内閣(NC)総務大臣に起用された。 2008年の民主党代表選挙に際しては小沢の無投票3選を阻止すべく、自身が所属する花斉会会長の野田佳彦の擁立に動くが、同じ野田グループ内の松本剛明らの同意が得られず、野田の擁立は見送られ、小沢は無投票で再選された。2009年のさいたま市長選挙では、民主党は新人の清水勇人を支持する一方、民主党埼玉県連幹事長であった武正は、自身の選挙で現職の相川宗一さいたま市長の支援を受けていたため、清水への支持を表明しなかったが、相川は清水に敗れた。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、埼玉1区で自民党前職の金子を大差で破り、4選。同年9月に発足した鳩山由紀夫内閣で外務副大臣に任命され、菅内閣まで務めた。2010年9月の民主党代表選挙では、菅直人首相の再選を支持。2011年8月の民主党代表選挙では花斉会会長である野田佳彦の推薦人に名を連ね、野田陣営の選対事務局長を務める。新代表に選出された野田の下では、党財務委員長に起用された。同年11月、民主党埼玉県連代表に就任。 2012年7月、衆議院総務委員長に就任。同年10月、野田第3次改造内閣で財務副大臣に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、埼玉1区から民主党公認(国民新党推薦)で出馬。埼玉1区では自民党新人の村井英樹に敗れ、2000年から12年間守ってきた議席を失ったが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、5選。 2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、埼玉1区で自民党の村井に前回よりも票差を広げられ、再び敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、6選。2015年1月の民主党代表選挙では元代表の岡田克也の推薦人に名を連ね、岡田が党代表に選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武正公一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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