|
武 永祥(たけ ながよし、1948年9月22日 - )は、JRAの栗東トレーニングセンター・田中章博厩舎に所属する元騎手の調教助手。長男は武英智元騎手、父は武平三元調教師、兄は武宏平元調教師、義理の弟は作田誠二調教師、従兄弟に武邦彦元調教師、従甥に武豊騎手、武幸四郎騎手がいる。 == 来歴 == 1968年、騎手免許を取得する。騎手学校花の15期のひとりで、15期生の同期には岡部幸雄や柴田政人、福永洋一のほか、のちに義弟となる作田誠二らがいる。 初騎乗は3月2日、京都10Rでロツコウミドリに騎乗して6頭中5着だった。なかなか勝てなかったが、1969年2月15日、中京第4競走(サラブレッド系5歳100万下・12頭立て)で、2番人気のラドオーに騎乗してようやく初勝利を挙げた。 デビュー4年目の1971年に出会ったアラブのシロタマツバキの主戦騎手として、1972年秋のタマツバキ記念で初重賞勝利を挙げると、翌年にはアラブ王冠、さらに翌年にはタマツバキ記念・春を勝つなど、同馬で通算8勝を挙げた。 ただ、身長が170センチメートル近くもあり、体重も重く減量苦もあって乗り鞍には恵まれなかった。1992年には、師匠で父の武平三の引退により、田中章博厩舎に移籍したが、武厩舎時代の1991年にデビューしたステイジヒーローの主戦騎手を務め、重賞競走こそ勝利できなかったものの、何度も3着に入るなどの活躍を見せて、騎手生活の晩年を飾った。 1980年12月31日に産まれた長男の英智は騎手デビューし、親子2代での騎手が実現した。 1993年、騎手を引退し、田中厩舎の調教助手となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武永祥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|