翻訳と辞書
Words near each other
・ 武田信方
・ 武田信昌
・ 武田信明
・ 武田信明 (文芸評論家)
・ 武田信春
・ 武田信時
・ 武田信景
・ 武田信景 (若狭武田氏)
・ 武田信栄
・ 武田信正
武田信武
・ 武田信治
・ 武田信清
・ 武田信満
・ 武田信澄
・ 武田信照
・ 武田信玄
・ 武田信玄 (1966年のテレビドラマ)
・ 武田信玄 (1991年のテレビドラマ)
・ 武田信玄 (NHK大河ドラマ)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

武田信武 : ミニ英和和英辞書
武田信武[たけだ のぶたけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

武田信武 : ウィキペディア日本語版
武田信武[たけだ のぶたけ]

武田 信武(たけだ のぶたけ)は、南北朝時代武将武田信政の子信時にはじまる信時流武田氏の生まれ。甲斐源氏嫡流甲斐武田氏の第10代当主。『甲斐国志』によれば、「生山系図」を引用し室を足利尊氏の姪とする。室町幕府引付衆にも任じられた。
== 生涯 ==
父・信宗の後を受けて当主となる。安芸国守護で、元弘の乱に際して鎌倉幕府方として出陣。そのため、鎌倉幕府滅亡後に発足した後醍醐天皇の建武政権においては討幕軍に従い戦った甲斐国守護・石和政義の後陣を拝していた。建武政権より離反した足利尊氏の軍勢催促に応じ、建武2年に挙兵し、熊谷蓮覚の本拠矢野城広島市)を攻略している。翌年には上洛し、足利勢と合流し主に畿内を中心として宮方と戦い、また安芸国内の沈静化にも務めている。
鎌倉時代後期には、安芸守護として本拠を移した信時流武田氏に代わって甲斐守護は北条得宗家と結びついた庶流石和流武田氏が継承しており、政義は建武政権に加わり甲斐守護を安堵されたが1343年に戦死している。政義の死後には甲斐への介入を強め、貞和2年(1346年)に一蓮寺へ行った寄進をはじめ甲斐国との関係を示す史料が見られる。将軍尊氏と実弟直義の対立から発生した観応の擾乱の最中には甲斐守護への補任を示す史料が見られ、直義追討のため甲斐へ入国したと考えられている。
尊氏の信頼が篤く、尊氏が天竜寺を造営しようとした際には信濃守護小笠原氏らと造営に協力している。没年は甲府市法泉寺の位牌によれば延文4年(1359年)であるが、一蓮寺過去帳や傑翁是英語録によれば康安2年(1362年)であるという。翌年に死去し、跡を子の信成が継承し、安芸守護職は次男の氏信が継承した。
和歌に優れた教養人でもあり、『新千載和歌集』には信武の作品が修められている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武田信武」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.