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武田安兵衛 : ミニ英和和英辞書
武田安兵衛[たけた やすべえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

武田安兵衛 : ウィキペディア日本語版
武田安兵衛[たけた やすべえ]
武田安兵衛(たけた やすべえ、1788年天明8年) - 1825年文政7年)4月8日)は、江戸時代後期の人物。讃岐国香川郡安原上東村(香川県高松市)に生まれる。19歳で高松候陪臣伯叔良蔵の養子となるが、21歳で養父が病没。1819年(文政2年)より、故郷を離れて諸国遍歴の旅に出る。二度の知多半島来訪の後、妙楽寺住職亮山阿闍梨に出会い、霊場開創の大願に感銘。岡戸半蔵とともに亮山阿闍梨に協力し、知多四国八十八ヶ所霊場を開創した。
== 略歴 ==

* 1788年天明8年) - 香川郡安原上東村に生まれる。幼名は安次郎。
* 1819年(文政2年) - 諸国遍歴の旅に出る。
* 1820年(文政3年) - 知多半島を訪れ、各地の社寺を巡拝。
* 1823年(文政6年) - 二度目の知多来訪。大井医王寺(南知多町大井)にて妙楽寺住職亮玄阿闍梨、岡戸半蔵と出会い、霊場開創の大願に感銘。本四国霊場のお土砂を捧持し協力を誓う。亮玄は亮山と改め、開創の決意を新たにする。
* 1824年(文政7年) - 3月、88の札所制定完了。弘法大師尊像の奉安が終わり、開眼供養を修す。始め「准四国霊場」と号す。岡戸半蔵、誓海寺禅林堂(美浜町古布)にて没する。
* 1825年(文政8年) - 4月8日(グレゴリオ暦5月25日)、布土十王堂にて没する。廻翁浄国信士。墓所は葦航寺(美浜町布土)。
* 1834年天保5年) - 弘法大師一千年御遠忌。3月1日より21日まで各寺にて遠忌大法要を厳修。
* 1847年弘化4年) - 3月18日(グレゴリオ暦5月2日)、亮山阿闍梨、福生寺(知多市新知)にて入寂。墓所は妙楽寺。
* 1893年明治26年) - 知多新四国霊場と称する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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