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武田安兵衛(たけた やすべえ、1788年(天明8年) - 1825年(文政7年)4月8日)は、江戸時代後期の人物。讃岐国香川郡安原上東村(香川県高松市)に生まれる。19歳で高松候陪臣伯叔良蔵の養子となるが、21歳で養父が病没。1819年(文政2年)より、故郷を離れて諸国遍歴の旅に出る。二度の知多半島来訪の後、妙楽寺住職亮山阿闍梨に出会い、霊場開創の大願に感銘。岡戸半蔵とともに亮山阿闍梨に協力し、知多四国八十八ヶ所霊場を開創した。 == 略歴 == * 1788年(天明8年) - 香川郡安原上東村に生まれる。幼名は安次郎。 * 1819年(文政2年) - 諸国遍歴の旅に出る。 * 1820年(文政3年) - 知多半島を訪れ、各地の社寺を巡拝。 * 1823年(文政6年) - 二度目の知多来訪。大井医王寺(南知多町大井)にて妙楽寺住職亮玄阿闍梨、岡戸半蔵と出会い、霊場開創の大願に感銘。本四国霊場のお土砂を捧持し協力を誓う。亮玄は亮山と改め、開創の決意を新たにする。 * 1824年(文政7年) - 3月、88の札所制定完了。弘法大師尊像の奉安が終わり、開眼供養を修す。始め「准四国霊場」と号す。岡戸半蔵、誓海寺禅林堂(美浜町古布)にて没する。 * 1825年(文政8年) - 4月8日(グレゴリオ暦5月25日)、布土十王堂にて没する。廻翁浄国信士。墓所は葦航寺(美浜町布土)。 * 1834年(天保5年) - 弘法大師一千年御遠忌。3月1日より21日まで各寺にて遠忌大法要を厳修。 * 1847年(弘化4年) - 3月18日(グレゴリオ暦5月2日)、亮山阿闍梨、福生寺(知多市新知)にて入寂。墓所は妙楽寺。 * 1893年(明治26年) - 知多新四国霊場と称する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武田安兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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