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武田 康廣(たけだ やすひろ、1957年9月12日 - )は、株式会社ガイナックスの取締役統括本部長。大阪府泉北郡忠岡町出身。妻は、SF・ファンタジー作家の菅浩江。 京都情報大学院大学の教授も務める。 == 来歴 == 1976年、清風高等学校から近畿大学理工学部原子炉工学科に入学。在学中はSF研究会に所属しており、当時からSFファンダムに積極的に関わっていた。1978年にSFイベントで知り合った岡田斗司夫とともに同人活動を開始し、日本SF大会に参加してトーク企画を行い、「関西芸人」と呼ばれ人気を呼ぶ。また、活字SF中心であった当時のSF大会の風潮に不満を抱き、アニメ・特撮などにも目配りした、DAICON(ダイコン)3・4を主催する。DAICONオープニングアニメ製作から自主製作映画グループ「ダイコンフィルム」を創設した。 これらの活動の間に留年を重ねて1981年10月に近畿大学は中退。岡田とともに、SFショップでありガレージキットショップでもある「ゼネラルプロダクツ」(ゼネプロ)を1982年に設立。ゼネプロ時代には引き続き、日本SF大会DAICON4の事実上の主催者の一員を務めて、ダイコンフィルムで自主製作映画の制作をするとともに、ガレージキットの販売や即売会であるワンダーフェスティバルの開催を行う。 1982年から1988年まで制作された『快傑のーてんき』では主役を演じた。また、1983年に製作された『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』ではMATのイブキ隊長を演じた。 1984年のガイナックス設立当時から取締役を務め、設立メンバーで2008年現在も取締役なのは武田のみという中心メンバーの一人である。ガイナックスの会社登記と同時にそれまで岡田斗司夫の実家である岡田刺繍の一部門だったゼネプロも独立して株式会社化され、武田は社長に就任した。 1985年の第24回日本SF大会GATACON sp 夏祭りで日本SFファングループ連合会議の議長に立候補して当選。以後、2001年まで16年の間、同職を務めた。 1988年には本来の主催予定者がギブアップした尻拭いで、SF作家野田昌宏ファンクラブの「宇宙軍」とともに第27回日本SF大会MiG-CONを主催し、計3回の日本SF大会主催者となっている。1995年、SFファン活動における功績により柴野拓美賞を受賞。 1987年に上京して、東京で活動していたガイナックスに合流。社長を務めていたゼネラルプロダクツも拠点を移して1992年まで活動を続け、従来のグッズやガレージキットの販売に加えてマンガ雑誌『サイバーコミック』の編集も行っていた。 アニメ『伝説巨神イデオン』の劇場版公開の際には宣伝スタッフになり、岡田と2人で「双子の悪魔」としてテレビ番組やイベントに出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武田康廣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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