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武者野勝巳 : ミニ英和和英辞書
武者野勝巳[むしゃの かつみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

武者 : [むしゃ]
 【名詞】 1. warrior 
: [もの]
 【名詞】 1. person 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [み]
 【名詞】 1. sixth sign of Chinese zodiac (The Serpent, 9a.m.-11a.m., south-southeast, April) 

武者野勝巳 : ウィキペディア日本語版
武者野勝巳[むしゃの かつみ]

武者野 勝巳(むしゃの かつみ、1954年昭和29年)1月1日 - )は、花村元司門下の将棋棋士棋士番号は137で群馬県館林市出身。2013年5月28日引退。
==経歴==

*1971年アマチュア名人戦の群馬県代表となる。これが契機となり師匠の花村の薦めで同年4級で奨励会に入会。
*1975年3月に三段昇段。当時は三段リーグが存在しなかったため、三段も現行の二段以下と同様に、直近の勝率によって昇段の可否が決められていた。1979年3月22日に規定の勝率を修め、25歳で四段昇段。
*プロ入り2年目の第22期王位戦で予選を勝ち抜き、リーグ入り。当時四段になったばかりの中村修から白星を挙げるも、その1勝に留まりリーグ陥落となった。
*予選を勝ち抜いて出場した第33回(1983年度)NHK杯では、3回戦(ベスト16)で中原誠二冠(当時、王座十段)に敗れるまで勝ち進む活躍を見せた。第38回(1988年度)でも同様に3回戦まで勝ち進んだが、そこで敗戦。
*全日本プロ将棋トーナメント朝日杯将棋オープン戦の前々身)でも、第1回(1982年度)・第3回(1984年度)で4回戦(ベスト16)進出の活躍を見せた〔第1回の3回戦では当時順位戦A級に在籍し、棋王のタイトルを有していた米長邦雄に勝利。〕。
*順位戦では参加6年目の第43期(1984年度)C級2組で9勝1敗の好成績を修め、C級1組に昇級。翌第44期(1985年度)で、最終局で自身が勝ち、安恵照剛佐藤義則島朗のうち2名が敗れれば順位が繰り上がり連続昇級となる所だったが、佐藤を除く2名が勝ち、武者野の昇級には至らなかった。以降は順位戦において成績が振るわず、第49期(1990年度)を最後にC級2組に降格、第55期(1996年度)にはC級2組における降級点が累積2個となり、同年度限りで順位戦への参加資格を放棄しフリークラスに転出。
*フリークラス転出後は、第11期銀河戦(2002年~2003年)では予選勝利、ブロック戦も3連勝し〔3連勝の内容は、1回戦鈴木輝彦・2回戦安用寺孝功・3回戦佐々木慎、4回戦で松尾歩に敗れた。〕、決勝トーナメントに進出した(決勝トーナメントでは、1回戦で丸山忠久に負け)。
*現役後期は後述の通り不祥事が多く、2007年には日本将棋連盟から史上初となる引退勧告を受けたものの現役を続行。規定によりフリークラスに在籍できる年数を全て消化し、2013年5月28日の第26期竜王戦・6組昇級者決定戦で佐藤義則八段に敗れ、引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武者野勝巳」の詳細全文を読む




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