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武蔵野鉄道デハ100形電車 : ミニ英和和英辞書
武蔵野鉄道デハ100形電車[むさしのてつどうでは100がたでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

武蔵野鉄道デハ100形電車 : ウィキペディア日本語版
武蔵野鉄道デハ100形電車[むさしのてつどうでは100がたでんしゃ]

武蔵野鉄道デハ100形電車(むさしのてつどうデハ100がたでんしゃ)は、西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道が、保有する路線の電化完成に際して1922年大正11年)〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.150 - 151〕に新製した、武蔵野鉄道初の電車である。翌1923年(大正12年)〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.151〕には、デハ100形の制御車としてサハ105形電車〔武蔵野鉄道においては制御車の車両記号を「サハ」と称した。〕および客荷合造車サハニ110形電車〔の2形式が増備された。
本項では上記3形式のほか、1925年(大正14年)〔から1926年(大正15年)〔にかけて新製されたデハ130形電車サハ135形電車〔およびデハ310形電車サハ315形電車〔、すなわち武蔵野鉄道が電化開業初期に増備した木造車体を備える電車各形式〔〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) pp.69 - 70〕について記述する。
== 概要 ==
1915年(大正4年)4月〔青木栄一 「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) pp.101 - 102〕に池袋 - 飯能間が開通した武蔵野鉄道(武蔵野鉄道本線、現・西武池袋線)〔は、沿線人口の増加に伴う利用客増に対応し、全線の電化工事を実施して従来の蒸気機関車牽引による客車列車による運行から電車による運行に切り替えることによって〔青木栄一 「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) p.104〕、所要時分の大幅な短縮ならびに運行の高頻度化を図ることとした〔。電化工事は関東地方における民営の蒸気鉄道では最も早期に実施され〔、1922年(大正11年)10月〔高嶋修一 「西武鉄道のあゆみ - 路線の役割と経営の歴史過程」 (2002) p.101〕に池袋 - 所沢間の電化が〔、1925年(大正14年)12月には飯能までの全線の電化が完了した〔。電化規格は当時最新の電化路線であった鉄道院京浜線(現・JR京浜東北線)と同様の架空電車線方式による架線電圧1,200V仕様とし〔、電車の制御方式には連結運転を前提とした総括制御方式を取り入れるなど〔、電車化による運行の高頻度・高速化のみならず、連結運転による大量輸送を行う郊外型電気鉄道としての志向が明確に現れていた〔。
武蔵野鉄道初の電車として新製されたデハ100形は、池袋 - 所沢間の電化完成に際してデハ101 - 104の4両が1922年(大正11年)6月〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.70〕に落成したもので、翌1923年(大正12年)5月〔にはデハ100形と編成する制御車としてサハ105形105・106が、同年8月〔にはサハニ110形111・112がそれぞれ増備され、全8両の電車によって運行が実施された。飯能までの全線電化完成に際しては1925年(大正14年)10月〔から同年12月〔にかけてデハ130形131・132およびサハ105形107・108の計4両が増備されたが、電化完成後の武蔵野鉄道沿線は利便性向上に伴って人口が急増したことから〔〔全線開業翌年の1916年(大正5年)から1921年(大正10年)にかけての利用客数増加率は2.47倍であったものが、電化が完成した時期に相当する1921年(大正10年)から1927年昭和2年)までの統計では増加率が6.44倍に急増した。〕、翌1926年(大正15年)10月〔にはデハ310形311およびサハ135形135・136、サハ315形315の計4両を増備、計16両の木造電車が出揃った。製造メーカーはデハ100形、サハ105形105・106およびサハニ110形が梅鉢鉄工所(後の帝國車輛工業)〔、デハ130形およびサハ135形が汽車製造東京支店〔、デハ310形・サハ315形およびサハ105形107・108が日本車輌製造東京支店であった〔。
導入後は一部の制御車の電動車化などが実施され、第二次世界大戦終戦後の武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の合併に伴う(現)西武鉄道成立〔合併当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。〕後、1948年(昭和23年)6月〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77〕に在籍する全車両を対象に実施された一斉改番に際しては、全16両の木造車各形式はモハ105形モハ131形モハ201形クハ1201形クハニ1211形の5形式に再編された〔。しかし同時期には西武鉄道の傘下事業者の一つである近江鉄道へ貸出もしくは譲渡される車両が発生し〔、以降順次淘汰が進行した上掲5形式は1956年(昭和31年)までに全て形式消滅した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武蔵野鉄道デハ100形電車」の詳細全文を読む




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